貨車の絵 その13



これらの絵は アイコンとして使う事を考慮して描いているため、使用色数が少なく軽いのが特徴です。トロッコ等は小形鉄道車両のコーナーへ。
改造ネタや、ホームページのアイコン等として、ご自由にお使いください。※注 商用・営利目的を除く。
使ったら、知らせて頂けるとうれしいです。リクエストも聞きたいです。
なお、絵や解説文の根拠たる参考文献等は ここに記載しきれないので、直接私にメールか掲示板で問い合わせて頂ければ幸いです。

このページの絵は特記以外1ドット50mmで描いています。


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九州鉄道の炭車たち(タ251形、タ1形、タ2116形、8トン炭車)

九州鉄道 タ251形 6トン炭車九州鉄道 タ1形 6トン炭車九州鉄道 タ2116形 7トン炭車

絵は左からタ251形、タ1形、タ2116形。
九州の初期の石炭車は 狭義の意味で鉄道車両というよりも坑内トロッコのようなもので、これが徐々に鉄道車両として発展していきました。
北海道のように いきなり大形車にならなかったのは、炭鉱の運営形態も影響していると思われます。

まず、九州の鉄道形石炭車の始祖に当たるのが左絵の6トン炭車です。明治26年(1893年)に筑豊鉄道が150両輸入しました。
見ての通り まだトロッコそのものの形態で、当初は形式が無かったようですが、明治30年(1897年)に九州鉄道に合併してからタ251形となりました。
ナベは底扉2枚で台枠にハマっており、吊輪にワイヤーを掛けてナベのみクレーンで吊り上げて 運炭船上で底扉を開放して荷役しました。
のちに9トン積に増炭改造されてタ251形→テタ3250形になり、さらに10トン積に再改造。昭和3年(1928年)の改番で セ50形に統合されました。

中絵は、上記の輸入炭車をまねて 筑豊鉄道が独自に250両製作した6トン炭車で、こちらは木製台枠です。
九州鉄道に合併してからタ1形となり、増炭改造されてテタ3000形に、昭和3年(1928年)の改番で セ50形に統合されました。

右絵は、明治27年(1894年)に九州鉄道が 輸入無蓋車を底開き式に改造した タ2116形 7トン積 木製炭車です。
こちらは増炭改造に適さず、大正初期に多くが三池炭鉱等に払い下げられたようです。

九州鉄道 8トン炭車九州鉄道 8トン炭車(手用制動機付)

こちらは、明治31年(1898年)から導入された8トン車です。
左のものが のちのテタ3600形(292両製作)と思われるもので、九州炭車のひとつの完成形と言えます。
明治40年(1907年)の九州鉄道国有化を挟んで、大正2年(1913年)からの増備はテタ15000形(2847両製作)となっていますが、どうやら設計がフィート・ポンド系からメートル系になったために改番されたようで、形態は同じみたいです。
8t→10t→13t→15tと順次増積改造され、昭和3年(1928年)の改番で セム1形になりました。写真から判断すると、いずれかの増炭改造の際に ナベごと新品に交換しているようです。

右絵は、テタ3600形とペアとなるブレーキ付きの車両で、形式不明。のちのフテタ12000形→セム3140形の原型と思われます。
手ブレーキのハンドル部分が石炭に埋もれないよう、カバーが付いています。

以上、これらの車は資料が非常に乏しく、推測で描いている部分もある事をご承知おき下さい。
当時の九州の貨車はプレート車輪や松葉スポーク車輪を多く利用しているようですね。
また、6トン車と8トン車を比べると 荷役施設の関係で基本的な寸法は似ているのですが、台枠や足廻りの改造余地があるかないかで、10トン車と15トン車に分かれて進化したようです。
ただ、明治末期〜大正に掛けての改造は非常に混沌としており、例外もあった事でしょう。書類上のみの手続も当然あったでしょうし、写真も無く、当時を再現するのは困難です。
※トロッコ炭車についての解説は小形鉄道車両の絵 その2を参照して下さい。

セ50形 石炭車(テタ3250形&テタ3000形&テタ3400形 鉄製石炭車)

テタ3250形 鉄製石炭車テタ3000形 鉄製石炭車テタ3400形 鉄製石炭車

絵は左からタ251形改造のテタ3250形、タ1形改造のテタ3000形、新製のテタ3400形で、いずれも10トン積です。
テタ3250形は底扉2枚。テタ3000形は写真が無いので推測ですが 図面を見ると底扉3枚になっています。

車号の上の○や△の表記は、行き先(積出港)の記号と思われ、同目的の「炭票」が登場するのと相前後して消されています。

セ50形 石炭車(旧テタ3250形)セ50形 石炭車(旧テタ3000形)セ50形 石炭車(旧テタ3400形)


こちらの絵は 揃ってセ50形に改番後の姿。
配属局名は当初 九州鉄道管理局の「九」で、大正9年(1920年)から 門司鉄道管理局の「門」ですが、大正14年(1925年)に規定が改正されて、九州と北海道の石炭車は記入が省略されました。
大正14年(1925年)といえば 連結器が自動連結器に交換された年でもありますね。
戦時中の写真を見ると一部の車に 左絵の車のような「門運管内専用 石炭列車」の表記が見られますが、これは関門トンネル開通がらみだと思います。

自動連結器化されても 補助ブレーキすら なかなか装備されないのが 九州石炭車の悩ましいところ。
セ形式に至っては ブレーキシリンダー搭載など夢のまた夢。+の表記が並びます。
そもそも底開き式ホッパー車は その構造上 ブレーキ装備に向かないのです。

テタフ2900形 鉄製石炭緩急車(セフ20形 石炭緩急車)

テタフ2900形 鉄製石炭緩急車 非公式側 これはセ50形に車掌室を付けたタイプの石炭緩急車です。
先に書いたように、九州の石炭車はブレーキの掛る車が少ないので、緩急車は重要な役割を担います。
ただ、そこは石炭専用列車。少しでも多く運べるように車掌車なぞ贅沢品ではなく、合造車である石炭緩急車が使われました。
車掌室内の幅は652mmで、装備は丸椅子ひとつ。手ブレーキのハンドルは車内に収まらないので、車端にはみ出しています。
絵はテタフ2900形時代。荷重8トン。のちにセフ20形に改番されました。

セム1形 石炭車(旧テタ15000系)

テタ15000形 鉄製石炭車

セム1形 石炭車(旧テタ15000形) 側ブレーキ付 2010年10月30日更新 セム1形 石炭車(旧テタ15000形) 鉄板 空制付 戦後 セム1形 石炭車(旧テタ15000形) 空制付 非公式側

昭和初期の主力形式、セム1形です。
中でもここに描いたのは、明治の8トン車をルーツとする車で、テタ3600形やテタ15000形を改造したもの。改造期の写真が無いので経緯は良く分かりませんが、15トン化で まるで別物です。
上段絵が15トン化されて間もないテタ15000形のバッファー連結器時代で、ホッパー側板の上3枚分は木製です。

下段絵は自動連結器化〜昭和41年(1966年)廃車までの姿。
さすがにセム1形は 多くがブレーキシリンダー装備となりましたが、戦後になっても依然として未装備のものがありました。
右端の絵はブレーキシリンダー装備車の非公式側ですが、苦労して配管している様子がうかがえます。
真ん中の車はブレーキシリンダー装備車の公式側で、更新修繕でホッパーが全鋼製となっています。

ちなみに、意外な事にこのタイプの石炭車は樺太でも活躍していたようです。

セム1形 石炭車(旧テタ18000系)

テタ2545形 鉄製石炭車

セム1形 石炭車(旧テタ18000形) 側ブレーキ付 戦後 セム1形 石炭車(旧テタ18000形) 空制付

セム1形の このタイプは、明治末〜大正期の増積合戦のさなかに、初めから13トン積で登場したテタ2545形をルーツとするグループです。
上段の絵がテタ2545形。
下段の絵が15トン積に改造されてテタ18000形を経てセム1形になった姿。
旧テタ15000形のグループより少数派ですが、炭箱や台枠の形状が違うので、編成になれば簡単に見分けられます。

セム3140形 石炭車(フテタ12000形 鉄製石炭車(手用制動機付))

フテタ12000形 鉄製石炭車(手用制動機付) 非公式側

セム3140形 石炭車 鉄板セム3140形 石炭車 木体

戦前の貨車には形式の頭に「フ」の記号が付くものがあります。
「フ」は手ブレーキを表しており「フテタ」の場合は鉄製石炭車(手用制動機付)の略です。

貨物列車全体に利くブレーキが無かった明治・大正期は、機関車と緩急車のブレーキで列車を制御していたのですが、編成が長くなるとどうしてもブレーキ力が不足するため、この頭に「フ」の付く車両を中間に挟んで補っていました。
一般的には小さな制動手室が付いており、乗っているのは列車の責任者たる車掌さんではなくて、制動手です。
制動手にはまた、螺旋・連環連結器の不具合による列車分離を監視する役目もあります。

手用制動機付車両は 大正時代に空気ブレーキ装置が採用され、大正14年(1925年)に自動連結器が採用されると姿を消していきました。

しかし! 九州のフテタは形式をセムに変えながらも しばらく そのままの姿で生き残りました。
そもそもこのフテタには 制動手用の小屋がありません。吹きさらしで手摺にしがみついて乗務していたのでしょうか?
これには九州特有の事情があり、二軸石炭車はブレーキがまったく付いていない車両の割合が大きく、連結器が自動連結器に換装されてもなお 単なる補助ブレーキ装置付きの車両として、フテタは重要な存在だったようなのです。

フテタ12000形は 古典の手ブレーキ付8トン炭車を 増炭改造したものと思われ、改番後は単なる石炭車、セム3140形となっています。
形態的にはテタ15000系であり、若干 連結面間距離が長いのは、テタ15000に手ブレーキを付け足した設計のため。
528両作られたようですが 空気制動化改造された際は、セム1形に改造されたと思われます。
絵は上段がフテタ12000形時代。下段がセム3140形で、左が全鋼製炭箱、右は全木製炭箱。

セムフ1形 石炭緩急車(テタフ11700形&テタフ14000形 鉄製石炭緩急車)

テタフ11700形 鉄製石炭緩急車

セムフ1形 石炭緩急車(旧テタフ14000形)空制付

セムフ1形はセム1系の14トン積石炭緩急車です。
上段絵のテタフ11700形は明治44年(1911年)にテタフ9000形(9t積)として製作されたものを増炭改造したもので、テタ18000系に属しますが、残された写真を見るとテタ15000系との折衷形となっています。
下段絵のセムフ1形はテタ15000系の元テタフ14000形です。空制装備後の姿。
これらセムフ1形やセム3140形とセム1形は、簡単な改造で形式も変わるので、「いつの時代に何形が何両」と総数を出すのは困難です。

セムフ700形 石炭緩急車(テタフ13000形 鉄製石炭緩急車)

セムフ700形 石炭緩急車(旧テタフ13000形)空制付 非公式側

セムフ700形は大正2年(1913年)登場のテタ18000系の石炭緩急車で、当初の形式はテタフ13000形。92両が製作されました。
セムフ1形との違いは、セムフ1形が積載量を1トン削って車掌室を追加したのに対し、セムフ700形は15トンの積載量を減らす事なく車掌室を追加したものです。
そのせいで車掌室内の幅は540mmという素敵な環境になりました。
それでも車長が若干伸びてしまい、これは荷役設備や着発線有効長に干渉するので良くないと思いますが、緩急車は編成端に連結するものですし、たとえ1両くらい編成中に紛れても 600mmの差は誤差の内だったのでしょう。
絵は空制装備後の姿。

セム4000形 石炭車

セム4000形 石炭車 公式側 セム4000形 石炭車 非公式側 戦後

セム4000形は、従来の底開き式石炭車の設計を抜本的に改めたもので、昭和11年(1936年)から305両が作られました。
従来の底開き石炭車は 底扉が水平に設置されていましたが、この車は台枠に中梁を貫通させ強度を向上し、底扉は炭箱に沿った斜めの配置となりました。
底扉の開放方法は、従来はカムでロックを外すと重力で開く方式でしたが、この車はウォームギアと傘歯車を利用したハンドルを回す方式となり、半開状態も可能です。

なお、セム4000〜6000形の運行関係の表記板は 当初炭箱側に付いていましたが、戦後になると台枠上に移設されています。

セム4500形 石炭車

セム4500形 石炭車 公式側 戦後 セム4500形 石炭車 非公式側

セム4500形は、セム4000形の改良形で、昭和12年(1937年)から904両が作られました。
セム4000形は同じ15トン積車のセム1形より 若干炭箱容量が減ってしまったため、セム4500では炭箱の補強を内側とする事で幅を広げて容積を増やしました。

セム6000形 石炭車

セム6000形 石炭車 公式側 戦後セム6000形 石炭車 非公式側 戦後

セム6000形 石炭車 更新車 黄帯 公式側

セム6000形は、凝った構造のセム4000・4500形の設計を改め 簡略化したもので、鋼材節約を図っています。
昭和14年(1937年)から1251両が作られました。
設計変更点は再び台枠中梁を廃止し、底扉の開閉は単純なレバーリンク式を開発して、その関係で底扉の取付向きがレール方向から枕木方向に90度変更されています。
底扉の動作は開か閉の2択になりましたが、それで必要十分であり、高価なウォームギアを使う必要は無かったのです。また、この構造はセム1形よりも操作が簡単です。

・・・しかし、今度は資材節約をしすぎたようで、台枠強度の不足が問題となりました。
そこで戦後は 台枠に補強を入れる改造をしています。外観では台枠と炭箱の接合部を補強しているのが分かります。
下段の絵がそれで、昭和43年以降の65km/h制限の黄帯を巻いた姿を描きました。


さて、絵では炭箱上部端に何か立っていますが、これは九州の石炭列車独特の装備です。
九州の炭鉱は、大〜小規模なものが各地に無数に点在しているのが特徴で、小規模なものは石炭車1車に手作業で積み込む個人経営のものもありました。
各支線の結節点の駅には それらの石炭車が寄せ集められ、行き先別に組直されます。
行き先は若松、戸畑、門司港、苅田港等です。

結節点で最大規模の直方駅には あらかじめ行き先別の仕訳線“兼”着発線が用意され、ここに入換で石炭車列が突き放たれ、定数1600tの長さに連結両数が達し 前頭に機関車を連結すると、おもむろに信号が変わり列車は出発していきます。 まるで、流れ作業です。
ちょっと専門的な話ですが、筑豊本線の石炭列車のダイヤは 基本的にすべて季節列車のようなもので、あらかじめ無数に引かれた平行ダイヤが用意されており、実際に列車が走ったスジに後から手で線を引くというという事が行われていました。

この列車を組成するうえでの目印が 車体上部に立っている炭票で、白地の木の板に上から着駅、荷受人、炭種が書かれます。
この表示のキモは凾竅「に加工された先端形状で、△は戸畑、Mは西八幡と一目で大まかな行き先が分かるようになっています。
本来、突放入換の際の行き先の目印は車票なのですが、かの地の石炭車の行き先は限られており、信号係は この簡略的な目印を見て 手早く方面別に転轍器を切り替えるというすんぽうです。

この炭票が見られたのは石炭輸送華やかなりし頃で、全ての2軸石炭車に受け金具が取り付けられ(無蓋車積みの場合は石炭に突き刺す)ていました。
炭票は石炭車に黄帯が入る頃には姿を消したようです。

セムフ1000形 石炭緩急車

セムフ1000形 石炭緩急車 公式側

セムフ1000形はセム6000形とペアとなる石炭緩急車で、昭和15年(1940年)に135両が作られました。
ペアとなるといっても 編成で綺麗に揃うはずもなく、各形式ごちゃ混ぜが 九州石炭列車の楽しさです。

セム8000形 石炭車

セム8000形 石炭車 急行 公式側セム8000形 石炭車 非公式側

セム8000形は昭和27年(1952年)から1780両が作られた セム6000形の改良形です。
懸案の台枠を強化し、また、溶接も全面的に採用しています。
・・・が、今度は台枠強度に余裕がありすぎたのか?増炭する事となり、昭和37〜昭和40年(1962〜1965年)にかけて全車がセラ1形に改造されました。
なので、セム8000の黄帯車は ありません。

変わり映えの無いセム8000ですが、昔の記録映像に○急マーク付きのものが編成で映っており、急行貨物列車用として使われたようです。

セフ1形 石炭緩急車

セフ1形 石炭緩急車 公式側 セフ1形 石炭緩急車 黄帯 非公式側

セフ1形は九州石炭列車伝統の、狭い車掌室を改めた存在です。
昭和29年(1954年)からセムフ1000形や セム6000形の改造名義で310両が作られました。
構造は セム8000形に従来の倍の広さの車掌室を追加したもので、改造扱いですが台枠等を新製しています。

セラ1形 石炭車

セラ1形 石炭車 黄帯 公式側セラ1形 石炭車 黄帯 非公式側セラ1形 石炭車 黄帯 水戸鉄道管理局 公式側

やっぱりセラと言えば、黄帯を巻いたこの姿。 を、思い浮かべる方が多いいでしょう。蒸気機関車末期。九州石炭車の象徴でもあります。

セラ1形はセム8000形の炭箱を単純に かさ上げし、17トン積とした設計で、昭和32年(1957年)から4129両が新製・改造されました。
セム8000改造のものは 元番号から4000引いた車号となっており、セラ4000〜を名乗ります。(セム8000以外にも改造種車はありますが、ほとんど名義上のもので、新製車に紛れています。)

この車は九州以外にも 本州に少数が進出しています。
右端の車両は1970年代の初頭に常磐線で見られたセラ1形。常磐線沿線の炭鉱から常磐協同火力発電所への石炭輸送に使われたとの事。
BRASS SOLDER 的 鉄道趣味生活さんの2006-11-30の記事を拝見して描けました。
写真を見ると、水戸鉄道管理局の「水」の横に何かの通し番号のようなものが書かれています。また、石炭が山積みですが、これは炭質の違いによるものなのでせうか?九州の場合はスコップで平らに均すので、車体からはみ出ません。
これは蒸機の炭水車にも言える事ですが、石炭の積み方は時代や地域の特徴が色濃く出ますので、模型化の時は注意しましょう。※ 機関車の絵のD51とか、その辺こだわって描いてます。

セム6000形 セメント輸送代用車/ホラ1形 セメント専用 ホッパ車

セム6000形 セメント輸送代用車ホラ1形 セメント専用 ホッパ車 麻生産業 ホラ1形 セメント専用(臨時専用種別 石灰石) ホッパ車 麻生セメント ホラ1形 セメント専用(臨時専用種別 石灰石) ホッパ車 三井鉱山

セム6000形の何両かは 九州地区のセメント輸送用として転用改造されました。
改造は屋根を被せる簡単なもので、荷降ろしは底扉を開いての重力式です。

その増備の私有貨車として昭和35年(1960年)に18両新製されたのが ホラ1形です。
ホラ1形の設計は ほとんどセム8000形と同じであり、セム6000形改造車と同じ屋根が載っています。
この屋根は取り外し式で、後年屋根を外して石灰石輸送用に転用されています。

そもそもセメント粉は流動性が悪く、ただの重力式では石炭のように すんなりとは落ちてくれません。
荷降ろし現場ではバイブレーターを併用していたようですが、効率的とは言えません。
どうやらホラ1形は、エアスライド式のホキ5700形やタキ1900形の本格的セメント専用車が登場するまでの、場つなぎな気がします。
石灰石輸送用に転用する事を前提で作ったのなら、二軸石炭車と同じ格好で作られたのも納得がいきます。

ホラ1形は大きな社名板が目につきますが、所有者の名義は麻生産業→麻生セメント→三井鉱山と変転しています。

セラ1形 肥料輸送代用車

セラ1形 肥料輸送代用車

これはセラ1形の肥料輸送転用車。
本土西端の下関〜岩国間の活躍で、屋根としてテントの骨組のようなものにシートを被せています。
数両の、極少数派だったのではないでしょうか?

セラ1形 生石灰輸送代用車/ホラ100形 生石灰専用 ホッパ車

セラ1形 生石灰輸送代用車ホラ100形 生石灰専用 ホッパ車

こちらはセラ1形の生石灰輸送転用車。
と、その本格的改造版のホラ100形 生石灰専用車。29両改造。
どちらも屋根を被せていますが、セラ1形の代用車の方は取り外し式で、ホラ100形となったものは屋根を固定しています。
運用区間は関門トンネルをくぐるもので、厚狭〜西八幡・大牟田・三池港。製鉄用の生石灰輸送に活躍しました。

ホラ100形 硅砂専用 ホッパ車

ホラ100形 硅砂専用 ホッパ車

こちらも上と同じくホラ100形ですが、こちらはガラス原料の硅砂輸送用で、構造が異なり、500番代に分けられています。
豊前川崎〜二島の運用で20両改造。

秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車/ヲキフ100形 35t積 緩急鉱石車

秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 初期車 公式側 空車秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 初期車 非公式側 積車秩父鉄道 ヲキフ100形 35t積 緩急鉱石車 初期車 公式側 積車

秩父鉄道 ヲキフ100形 35t積 緩急鉱石車 非公式側 空車秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 公式側 空車秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 非公式側 空車秩父鉄道 ヲキフ100形 35t積 緩急鉱石車 公式側 空車秩父鉄道 ヲキフ100形 35t積 緩急鉱石車 非公式側 積車秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 公式側 積車秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 非公式側 積車秩父鉄道 ヲキフ100形 35t積 緩急鉱石車 公式側 積車

秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 更新車 公式側 空車秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 更新車 非公式側 空車秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 更新車 公式側 積車秩父鉄道 ヲキ100形 35t積 鉱石車 更新車 非公式側 積車

秩父鉄道のヲキ100系は、昭和31年(1956年)に大野原〜黒谷に開設された 秩父セメント秩父第2工場への石灰石輸送用として、同年に用意された 35t積鉱石車です。
影森駅に接続する秩父セメント三輪鉱山専用線から 秩父第2工場専用貨物駅の武州原谷駅まで、ヲキ8両+両端にヲキフの10両編成で活躍しました。
昭和37年(1962年)には 秩父セメント熊谷工場の開設に伴い ヲキ・ヲキフ100形も増備され、こちらは影森〜三ヶ尻間に2ユニット20両編成で運用され、現在に至っています。
ヲキ100形は自重14.9t、ヲキフ100形は自重16.0tなので、積車20両編成では下り勾配ながらも約1000tとなり、秩父鉄道では強力機が活躍しています。
ヲキ100系の特徴は圧搾空気を利用した底扉開閉機構と、バイブレーターを装備して荷役を近代化した事で、編成丸ごと同時荷降ろしができます。

ヲキ100系は 昭和48年(1973年)まで増備され、メーカーも2社あるため 細かく見ると仕様変更があります。
一応上段に描いたのが初期車で、ヲキフは101〜109号車までこのタイプ。以降のヲキフ増備車では 車掌室拡幅に伴い 全長が少し伸びました。
また、最下段に描いたのは 最近のブレーキ装置更新車で、デッキが少し混雑しています。この改造は2000年代初頭からで、現在は全車更新が終わっているようです。
ブレーキは近代化したものの、台車軸受は平軸受のままで、この車を現在も多数運用する秩父鉄道は、今や日本随一の平軸受整備能力があると思われます。

ところで ここまで何も説明せずに来ましたが、石炭以外の鉱物を運ぶ鉱石車の記号は「ヲ」を用います。
国鉄では石炭以外用途でも 石炭車「セ」で統一してたので 「ヲ」は私鉄独自の記号で、国鉄がホッパ車「ホ」を制定後も 秩父鉄道では伝統的に使っています。

「ヲ」の記号は 英語の鉱石車「オアカー」から取ったとする説と、「鉱石(コヲセキ)」から取ったという説があります。
国鉄で使っていなかったので、由来が曖昧なのです。
ただ、オアカーはore carであり、語源とするには ちょっと違和感を感じていました。
そこで「鉱石」の読みに注目し、歴史的仮名遣いを調べてみたところ、やはり「鉱・鑛」の正式な振り仮名は「コヲ(くゎう(kuwo))」ではありませんか!
「歴史的仮名遣い」というのは、戦後のどさくさで台頭してきた表音主義者により、昭和21年(1946年)に制定された「現代かなづかい」により葬り去られた日本語です。
元々は「い(イ)」と「ゐ(ヰ)」、「え(エ)」と「ゑ(ヱ)」、「お(オ)」と「を(ヲ)」は それぞれ発音が微妙に違います。
実際は 当時でも発音の使い分けは薄れていたようですが、戦前からの鉱石車が「オ」では無く「ヲ」だったのは 「現代かなづかい」が制定される前だったので、当然の事だったのです。
由来は「鉱石(コヲセキ)」とみて 間違いないでしょう。
なお、「コ」とならないのは、“小さい”という意味ですでに一般化されていたためです。また、電報略号が被った場合 2文字目から取るのは よくある事です。
とかく戦前戦中の歴史は、戦後に変なバイアスが掛けられて 間違った上書きがされている事が多いので、注意が必要です。

ホキ10000形 35t積 石炭専用 ホッパ車

ホキ10000形 35t積 石炭専用 ホッパ車 チチブ 公式側ホキ10000形 35t積 石炭専用 ホッパ車 チチブ 非公式側ホキ10000形 35t積 石炭専用 ホッパ車 電化 公式側

ホキ10000形 35t積 石炭専用 ホッパ車 太平洋 公式側ホキ10000形 35t積 石炭専用 ホッパ車 太平洋 非公式側

ホキ10000形は、セメント焼成燃料の輸入炭を運ぶために 昭和55年(1980年)に開発された 35t積ホッパ車です。
当時、日本では消費エネルギーの75%を石油に頼っていました。
しかし昭和48年(1973年)の第1次と、昭和54年(1979年)の第2次オイルショックの影響で、リスク回避により燃料を石炭に切り替える企業が増えてきました。
関東内陸部の秩父セメントでも、従来 炉の燃料に重油を主に使っていましたが、安定供給できる石炭に頼ることとなりました。
石炭を燃やすと 多量の石炭灰(フライアッシュ)が発生しますが、それもセメント原料として有効利用できるので好都合です。
当時は既に国産炭よりも輸入炭の方が安くなっていたため、東京湾で陸揚げされた石炭を 鉄道で運ぶこととし、国鉄と交渉しましたが、輸送量も多いため私有石炭車を製作する事となりました。
国鉄としても 今後同様のケースが想定されるため、石炭専用私有ホッパ車は標準車として国鉄主導で設計されました。

車両の構造は秩父鉄道で石灰石輸送に活躍していたヲキ100形を参考とし、底開き式の近代的な石炭ホッパ車が誕生しました。
荷役用エアホースを繋げる事により、編成単位での荷降ろしが可能です。
形式をセキにしなかったのは、私有貨車に石炭車という項目がなかったためです。
標準車といっても国鉄貨物が完全に斜陽化している中、採用したのは2社だけで、秩父セメント向けに250両、電気化学工業向けに22両が製作されました。
電化工業向けはホッパの鋼板を厚くし、石炭の硫黄分による腐食に強くしています。

積荷は当然 輸入炭ですが、時期により炭質や出炭地が違うようで、オイルコークスを運ぶこともあったようです。また、セメント工場では完全に石炭に頼っているわけでなく、重油も併燃されているようです。
通常は、外から見て石炭が積まれているのは見えませんが、電化工業のホキ10000では炭質の比重の違いでしょうか? 絵のように石炭 山盛りになった写真が残されています。
また、太平洋セメントのホキ10000は、平成12年(2000年)に97両が中部国際空港の建設用骨材輸送用として 専用種別を石灰石に改め、三岐鉄道方面で活躍しました。

電化工業向けの輸送は平成8年(1996年)に終了しました。しかし、秩父セメント 改め 秩父小野田セメント 改め 太平洋セメント向けは、輸送量は減ったものの老骨に鞭打って、未だに現役です。
とうに車齢30年を超え、国鉄時代よりJRになってからの活躍の方が長いです。置き換え用の新車の登場が待ち望まれるところですが・・・。

ホキ700形 事業用ホッパ車

ホキ700形 事業用ホッパ車 前期形ホキ700形 事業用ホッパ車 後期形

ホキ700形は、線路のバラスト散布専用に製作された事業用ホッパ車です。

従来、線路新設や保線をする際は 無蓋車や土運車を使用してバラストを散布していましたが、スコップを使って人力で 手間と時間がかかりました。
土運車では早くから荷台側転ダンプ式ものが開発されていますが、これはどちらかというと建設用で ドザーッと土砂をぶちまける用途、例えば田んぼを埋め立てて広大な貨物ヤードを造るような仕事に使われていました。
線路のバラスト散布、特に砕けて少なくなったバラストを補充する保線作業には、散布量をコントロールできるホッパ車が求められました。
そうして昭和32年(1957年)に開発されたのが 流し板付きホッパ車のホキ700形です。

このくるまは通常のホッパ車と違い、ホッパ部分が高い位置にあり、そこから落とされたバラストを流し板で軌道肩部分に散布する仕組みになっています。
バラストの散布量は落とし口のゲートの開く量をデッキの円形ハンドルで制御し、またレバーハンドルで流し板の角度を変える事で 散布位置を軌間外0.5mと1mの2段階に選択できます。
なお、落とし口のゲート操作用円形ハンドルは左右2つあり、個別に操作して片側のみ散布する事も、左右で散布量を違える事も出来ます。

ホキ700形は、前期形35両、流し板角度を少し急にした後期形20両が製作され、全国に分散配置されてホキ800形と混用されました。
絵は左が前期形、右が後期形。

ホキ800形 事業用ホッパ車/新幹線 931形 ホッパ車

ホキ800形 事業用ホッパ車 前期形ホキ800形 事業用ホッパ車 後期形 新幹線 931形 ホッパ車 前期形

ホキ800形 事業用ホッパ車 前期形 バラスト散布風景(軌間外1m)ホキ800形 事業用ホッパ車 前期形 バラスト散布風景(軌間外0.5m)ホキ800形 事業用ホッパ車 前期形 バラスト散布風景(軌間内)

ホキ800形は ホキ700形の改良形として、昭和33年(1958年)から製作されました。
形態・寸法は ホキ700形の後期車とほぼ同じですが、ホキ800形は流し板を改良し、軌間内にもバラストを散布出来るようにしました。
軌間内散布のため、脱線防止用に台車に排障器が付いています。
ホキ800形は保線作業の近代化に大きく貢献し、前期形が973両。台車等を変えた後期形が105両作られ、全国の鉄道局と建設局に配置されました。

またホキ800形の標準軌版が新幹線建設用に3000形として導入され、東海道新幹線開業後は新幹線931形として新幹線の保線作業に活躍しました。
新幹線931形は126両が製作され、内 12両が のちに在来線の台車に振り替えられてホキ800形に編入されました。

絵は上段左からホキ800前期形、ホキ800後期形、新幹線931形です。
下段は前期形のバラスト散布風景で、左から軌間外1m、軌間外0.5m、軌間内散布です。

ホキ700、800形式の運用は、多くの場合は操車場から工事用臨時列車(工臨)として数両編成で山に行き、バラスト(砕石)を積み込んだら操車場に戻り、そこから散布場所に向かいます。
かつて国鉄時代は 貨物列車に併結されている姿を良く見ましたが、これは移動のためで、貨物列車からは散布しません。
散布の際は、やはり工臨を仕立てるか、線路閉鎖してモーターカーに牽引されます。
散布要員は だいたい4名で、散布用ハンドル操作に2名、散布状況確認に2名です。その他、必ず地上要員がいて、撒かれたバラストを整理します。
なお、数両編成の場合でも1つの地点で散布に使われる車両は1両で、1両が空になったら次の車両と、作業員は順次乗り換えていきます。
ホキ800形はJR(旅客会社)に引き継がれ、現在も活躍しています。また、私鉄にも譲渡車や同形車が多数存在しています。

東武鉄道 ホキ1形 事業用ホッパ車

東武鉄道 ホキ1形 事業用ホッパ車

東武鉄道 ホキ1形は、国鉄ホキ800形の姉妹車で、昭和37年(1962年)に登場しました。
一見してホキ800形そっくりですが、東武ホキ1形は軌間内散布機能を廃し、また流し板の角度も違います。
軌間内散布機能は便利なようですが、散布の加減が難しく、東武では特に必要とされなかったみたいです。

10両程度が在籍したようですが 徐々に廃車され、秩父鉄道、上毛電気鉄道、茨城交通に2両づつ譲渡されました。


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