貨車の絵 その8



これらの絵は アイコンとして使う事を考慮して描いているため、使用色数が少なく軽いのが特徴です。トロッコ等は小形鉄道車両のコーナーへ。
改造ネタや、ホームページのアイコン等として、ご自由にお使いください。※注 商用・営利目的を除く。
使ったら、知らせて頂けるとうれしいです。リクエストも聞きたいです。
なお、絵や解説文の根拠たる参考文献等は ここに記載しきれないので、直接私にメールか掲示板で問い合わせて頂ければ幸いです。

このページの絵は特記以外1ドット50mmで描いています。


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古典有蓋緩急車(ワフ8000形/ワフ7500形/ワフ11900形)

ワフ8000形(旧ワフ3381形) 有蓋緩急車 有蓋緩急車ワフ8000形(旧ワフ3788形) 有蓋緩急車有蓋緩急車 公式側ワフ8000形(旧ワフ5500形) 有蓋緩急車

ワフ7500形(旧ワフ28200形) 有蓋緩急車

ワフ11900形 有蓋緩急車(ワフ4684形時代)

明治〜大正初期の鉄道は、旅客列車には真空ブレーキをボチボチ採用していましたが、貨物列車には 列車全体に利くブレーキ(貫通ブレーキ)がありませんでした。
そこで、編成の要所要所に手ブレーキ(手用制動機)を備えた貨車を連結して 列車をコントロールしていたのですが、これに車掌の乗務設備を設けたものが“緩急車”です。
貨物列車は重たいので、編成の約1割に 手ブレーキ付きの車両を連結する必要があり、列車編成が長くなった大正末期には 貨車全体に占める緩急車の割合も1割以上に達していました。

緩急車の記号はワフ・トフという具合に、手ブレーキの“フ”の字が 後ろに付きます。
なお、車掌乗務設備の無い 手ブレーキ付きの貨車も少なからず存在しましたが、こちらは フワ・フテタという具合に 頭に“フ”の記号を付け、緩急車と区別しました。
また、側ブレーキも多くの貨車に普及していましたが、こちらは留置用で、ブレーキ力も弱いです。急勾配対策で側ブレーキを効かせたまま山を下るという事もあったようですが、運転中に操作はできません。


緩急車に乗った車掌は、機関車の汽笛合図により ブレーキを掛けたり緩めたりしつつ、列車分離を監視するのが乗務中の主な仕事でした。
しかし、時代が下るとともに 列車長たる車掌の業務は増えていき、上記の仕事に専念する者は制動手と呼ばれたようです。

転機を迎えたのは 大正時代末に相次いで空気ブレーキ装置と自動連結器が全国採用されてからです。
ここで多くの緩急車は車掌室を撤去して その分荷物を積めるように 普通の有蓋車や無蓋車に改造されて数を減らしました。
ただ、自動連結器が採用されてもなお、列車分離や異常時の列車防護に備えて、編成最後部に緩急車は必要でした。

ところで、空気ブレーキは高性能な貫通ブレーキで、列車を機関士1人で自由にコントロールでき、また、ブレーキ力も強く、長編成にも対応しています。
何かあったら、車掌が非常ブレーキ弁(車掌弁)の紐を引きますが、そうすると非常ブレーキ弁から制動管の圧縮空気が一気に抜け、各車の制御弁が一斉に動作し、補助空気ダメからブレーキシリンダーに空気が供給されて列車は止まります。 ※ 同様に列車分離の時も非常ブレーキが掛ります。

さて、国鉄標準化設計がなされる前の、各鉄道会社引き継ぎの 雑多で雑多な緩急車たちは、昭和3年(1928年)の称号改正でその出自、荷重、構造に係わらずワフ8000形にまとめられています。
総数1270両。これらは本当に千差万別で、百鬼夜行とはこの事を言うのでしょう。

ただ、同じ明治期の緩急車でも 何らかの都合でワフ8000形に含まれなかったものもあります。
ワフ7500形、ワフ11500形、ワフ11700形、ワフ11800形、ワフ11900形、ワフ12000形、ワフ12100形などです。
おそらくは緩急車としても異端車で、多くは早期に廃車となったと思いますが、比較的 まとまった数がいたのは ワフ7500形とワフ11500形です。
困った事に図面を見ても ワフ8000形との決定的違いが分からないのですが、室内構造にヒントがありそうで、運用方法でも違ったのでしょうか?

絵は上段からワフ8000形3例、ワフ7500形、ワフ11900形(ワフ4684形時代)。
これら古典緩急車は 昭和前期までに次々と廃車されましたが、私鉄や専用鉄道に払い下げられたものが 戦後も活躍しています。

ワフ1形/ワフ600形 有蓋緩急車

ワフ28500形 有蓋緩急車

ワフ600形 有蓋緩急車 公式側ワフ600形 有蓋緩急車 非公式側 ワフ600形 有蓋緩急車 非公式側

ワフ1形及びワフ600形は、明治44〜大正2年(1911〜1913年)に量産された荷重6トン級の縦板張りの有蓋緩急車です。
ワフ1形は 当初ワフ28500形を名乗り、256両製作。荷重6トン、短軸。
ワフ600形は 当初ワフ28800形を名乗り、1098両製作。荷重8トン、長軸。
両者製造工場が多岐にわたり 個体差があったと思われますが、かなり標準化の考えが取り入れられ、図面上の外見は ほとんど同じです。
荷重の差は、車掌室と貨物室の仕切りの位置の差で ワフ1形の方が車掌室が広いです。
明治後半以降の有蓋緩急車は車掌室が広くなり、ワフ600形で1473mm×2603mmの広さがあります。

車体外板が縦張りなのは、こちらの方が横張りよりも雨水の進入を防げるからと この時期の有蓋車に採用されています。
しかし、製作に手間とお金が掛るため、のちの貨車は横張りが標準となり 縦張りは一時のブームに終わりました。

絵は上段がワフ1形のワフ28500形時代。
屋根上のものは室内照明の油灯カバーで、この時代 客車は電灯化が進展していたのですが、緩急車は昭和7年(1932年)に全国に蓄電池式携帯電灯(車掌灯)が普及すると、その撤去跡を利用して通風器が取り付けられました。
と、思っていたら油灯カバーは大正末期には撤去が始まっていたようで、その間の燈具はどうしていたのでしょうか?
下段はワフ600形の空気ブレーキ装備後です。
なかでも右端は、大正14年(1925年)8月〜昭和6年(1931年)2月まで見られた ブレーキシリンダー装備車を示す白線入りのもの。

ワフ3300形/ワフ2900形 有蓋緩急車

ワフ5000形 有蓋緩急車 真空ブレーキ装備

ワフ2900形 有蓋緩急車 非公式側ワフ2900形 有蓋緩急車 公式側

ワフ3300形及びワフ2900形は、明治44〜大正4年(1911〜1915年)量産された荷重10トン級の縦板張りの有蓋緩急車です。
ワフ3300形は昭和3年(1928年)の称号改正で、旧ワフ5000形から改番したもの。ワフ2900形は同じく旧ワフ20500形、ワフ20800形を統合したもの。
ワフ3300形が計1291両、ワフ2900形が計207両で 大量生産されましたが、製造時期、工場で個体差があります。また、私鉄からの編入車もあります。
絵は、多数派と思われるものを描きましたが、この形態がすべてではなく、また、ワフ3300形とワフ2900形の違いも よく分かりません。

この頃量産の有蓋緩急車は 速達貨物列車の運転開始により、その多くが真空ブレーキを装備しました。
また 大正末期に 制動力を高めるための方策として3トンの死重が積載され 荷重が7トンに減りましたが、空気ブレーキ採用後には死重を降ろしました。

上段の絵はワフ3300形のワフ5000形時代の真空ブレーキを装備した姿。
貨物室にも石油ランプが設置されていますが、これが のちの急行便に発展していったのでしょう。

下段は空気ブレーキ装備後の姿で、ワフ2900形の非公式側、公式側。
上下の非公式側の絵は 貨物引戸の向きに違いがありますが、これが形式別の個体差という訳ではありません。

この時期製作の標準形有蓋緩急車は、戦後も国鉄では昭和20年代一杯まで働き、私鉄譲渡車は昭和40年代まで活躍したやつもいるようです。

ワフ6500形 有蓋緩急車

ワフ6500形 有蓋緩急車ワフ6500形 有蓋緩急車

ワフ6500形は、大正末期に空気ブレーキの採用で余剰となったフワ30000を改造して作られた有蓋緩急車です。
旧形式はワフ21650形で、414両製作されました。
のちに一部がウ100形・ウ200形 豚積車に改造されています。

※フワ30000形は、貨車の絵 その1を、ウ100形、ウ200形は、貨車の絵 その10を参照して下さい。

名古屋鉄道 ワフ50形 有蓋緩急車

名古屋鉄道 ワフ50形 有蓋緩急車

名古屋鉄道ワフ50形は、名鉄の一般貨物列車の末期まで活躍した有蓋緩急車です。
この車は、もともと名古屋電気鉄道が大正元年(1912年)に35両製作した デワ1形電動貨車が種車のようです。
ところが、すぐに貨物量が増えてデワでは賄いきれなくなったのか、大正7年(1918年)に22両が有蓋車に改造されました。
デワ1形はブリル21-Eという電車用単台車なので、有蓋車化に際しては下廻りを新製していると思われます。なお、電装品はモ40形等 電車の製作に流用されました。
その後、昭和16年(1941年)に12両がワフ50形に再改造されました。

ワフ50形は、ちょうど国鉄ワフ6500形と同時期の貨車化なので、外見がよく似ています。

ヨ1形 車掌車/ヨ1500形 車掌車

ヨ1形 車掌車ヨ1500形 車掌車ヨ1500形 1561号 車掌車

先に記したように、緩急車はもともと有蓋車や無蓋車の中で手用制動機を備えたものでしたが、当然貨物優先で車掌室は狭く、乗務環境は厳しいものでした。
また、空気ブレーキが採用されて緩急車の連結が減ると、車掌の乗る場所も減ります。
編成が長大化され小口扱貨物が発展すると、貨物を荷捌きする荷扱い車掌も乗務する必要があります。

そこで、大正15年(昭和元年 1926年)に誕生したのが事業用貨車である車掌車です。
ただ、誕生とは言うものの 非営業の車を新製した訳ではなく、ちょうど余っていた2軸古典客車を改造して済ませました。

大まかに片側デッキ式に改造したものをヨフ6000形、元から両側デッキ付きだったものをヨフ7000形に形式を分け、昭和3年(1928年)の称号改正で それぞれヨ1形、ヨ1500形となりました。
種車は さすが古典車両だけあり、各鉄道から引き継いだ それこそ1両毎に異なる代物。ヨフ6000形が603両、ヨフ7000形が64両改造されました。

2軸客車・・・通称マッチ箱は、当時ですらオンボロ車両でしたが、元が客車なのでバネは柔らかく、乗り心地はワフよりも良かった事でしょう。
ヨ1もヨ1500も デッキの数以外は車体の大小にかかわらず 室内レイアウトは全く同じであり、区分机の椅子は2名分ですが3名位の乗務を想定しているようで、他に2m弱のロングシートが2ヶ設置されています。
手ブレーキは車内にあります。
また図面を見るとトイレを新設しているようで、ヨフ6000、ヨフ7000形全タイプの形式図に それらしきものが描かれています。長距離貨物列車に専用で運用することを想定したのではないでしょうか?
たしかに、ヨフ7061号車の形式写真に、古典客車に特有の 軌道内側に曲がったトイレの流し管のようなものが写っています。
しかし、実際に新設されたかは不明で、仮に装備していたとしても 後年撤去されたものと思われます。
こんな車が昭和20年代末期まで走っていました。

絵は、右からヨ1形とヨ1500形のそれぞれ多数派のタイプ。図面を元に、かなり想像で描いています。右端は写真の残されているヨフ7061号車、の改番後。
写真が ほとんど残されていないので なんとも言えませんが、窓ガラスは、時代を経るにつれ 多くが板で塞がれたのではないかと考えています。

南海電気鉄道 ワブ501形/ワブ551形 有蓋緩急車

南海電気鉄道 ワブ551形 有蓋緩急車 公式側南海電気鉄道 ワブ501形 有蓋緩急車 公式側南海電気鉄道 ワブ501形 有蓋緩急車 デッキ増設改造後 公式側

南海電鉄ワブ501形は、昭和5年(1930年)に38両が製造された8t積有蓋緩急車です。当初はワブ1形を名乗っていましたが、戦後に改番されました。
ワフでは無くてワブなのは南海の伝統です。
国鉄緩急車に先んじて鋼製で作られ、屋根まで鋼板張りなのが特徴です。晩年まで窓枠の美しいニス仕上げが目立ちました。
当初は空気ブレーキを持っていませんでしたが のちに装備し、未装備のものはワブ551形に区分されたようです。

昭和40年代に入ると 有蓋緩急車の積荷である小口扱貨物も少なくなり、貨物室側に入換添乗用のデッキを設置し、電灯用車軸発電機も装備して なかば車掌車化されました。
荷重は1tに減じられ、一応貨物は積めますが、側引戸は全開できなくなりました。
絵は左からワブ551形、ワブ501形、ワブ501形デッキ増設改造後。

南海ワブ501形は、何両かが他私鉄に譲渡されており、現在も富士急行に残存しているようです。

ワフ21000形/ワフ121000形 有蓋緩急車

ワフ21000形 有蓋緩急車 1段リンク 公式側 ワフ21000形 有蓋緩急車 2段リンク 非公式側 ワフ121000形 有蓋緩急車 1段リンク 非公式側

ワフ21000形は、古典緩急車の置き換え用に 昭和8年(1932年)から昭和14年(1939年)にかけ、775両が登場しました。

ワフ21000は 近代的で隙間風の少ない鋼製車体となり、車掌室は2名用で広く取り 乗務環境は大きく改善されました。
車掌車並みの設備で、書類整理の区分棚も装備され、机も広くなり、ロッカーも備えていて、まるで走るオフィスです。

逆に貨物室は2トンと小さくなっていますが、これは小口扱貨物の中でも貴重品や鮮魚等 特殊な貨物を積むのに使いました。
貨物室の床は鮮魚の水気対策なのか 荷摺木を敷いています。

車掌室が主で貨物室が従になったので、積車時のバランスを考慮して車軸間距離を長くしたうえで貨物室側に片寄らせた設計とし、また、空車時の連結器高さも前後で変えてあります。
この設計は、以降の緩急車にも反映されています。


戦後は まずストーブが設置され、そのためのベンチレーター状の煙突が屋根に付きました。

昭和42年(1967年)には 自転車のライトの発電機のような簡易発電機が開発されて 順次装備されましたが、発電機は車輪の裏側に隠れ、小さなバッテリーは車内ですので 外からは変化がありません。

昭和43年(1968年)の貨物列車75km/h化に際しては、本車は最高速度65km/hであったため 足廻りを改造する事になりました。
しかし全車は改造されず、一部は最高速度65km/hのまま北海道に封じ込められる事になり、形式をワフ121000形に変更しました。

絵は左から戦前 公式側。足廻り改造の晩年 非公式側。北海道のワフ121000形 非公式側。
北海道の車両のストーブ煙突は 火力を増すためか高いのが特徴で、絵はT字煙突に換装されたタイプです。

ヨ2000形 車掌車

ヨ2000形 車掌車 1段リンク ヨ2000形 車掌車 2段リンク

ヨ2000形は昭和12・13年(1937・1938年)にかけ 100両が作られた 初の新製車掌車です。
車掌3名用で、基本構造はワフ21000形に準じますが、こちらは車掌専用なので足廻りに柔らかいバネを使い、乗り心地を良くしています。
そのため、当初から最高速度75km/hでしたが、昭和42年(1967年)には さらに足廻りを改造(2段リンク化)して 最高速度85km/hとしています。

絵は左が鉄道省時代。右が電灯・暖房設備完備、信号炎管設置の晩年の姿。

なお、緩急車側面の信号炎管ですが 写真を確認すると、昭和45年(1970年)以降順次 取付が開始されているようです。
手ブレーキ側デッキのステップと手スリの白塗装も昭和45年(1970年)頃からボチボチ見られるようになりますが、こちらは当初 各区まちまちであり、四国配置のものは 前後デッキとも手スリ&ステップを塗っていました(のちに標準化。)。
大まかな流れとして、ステップ側面が先で、のちに手スリも塗装。昭和49年(1974年)頃には完了しているようです。

ワフ25000形 有蓋緩急車

ワフ25000形 有蓋緩急車 公式側 ワフ25000形 有蓋緩急車 非公式側

ワフ25000形は 昭和13年〜昭和17年(1938〜1942年)に775両が製作された有蓋緩急車です。
先に登場したワフ21000形は 旧形車掌車の置き換えも視野に入れて車掌定員2名で設計されたのですが、ワフ25000形は旧形有蓋緩急車の更新用のため 車掌定員1名です。
なお、他の形式でも言える事ですが、車掌定員1名といっても それは車掌がデスクワークするための机等の設備の数であり、ワフ25000の車掌室は タタミ2枚以上の広さがあるので便乗者も乗せられます。
荷重は8トンで、デザイン的には明治・大正期の有蓋緩急車と同じですが、車体はワム23000形に準じた構造です。

さて、このワフ25000形。戦後には多くがワフ35000形に改造されましたが、その他にも改造種車として好適だったようで、ここに2例紹介いたします。

高松琴平電気鉄道 11000形 制御客車高松琴平電気鉄道 11000形 制御客車

まずは高松琴平電気鉄道 11000形 制御客車。
戦後の車両不足には どこの鉄道も困っていたのですが、琴電は国鉄からワフ25000形を6両譲り受けて、昭和23年(1948年)に制御客車としてデビューさせました。
改造内容は輪軸を標準軌とし、元の車掌室に制御機器を置き、貨物引戸を旅客用に改造して ついでに客室に窓を開けています。
標準軌となったので車体の安定性は良くなったかも知れませんが、のちに一部の車は乗り心地を改善すべく2軸電車の単台車に振り替えており、さらに異様な姿になりました。

当時からゲテモノとして有名だったようで、写真も多く残されているのですが、1110号車の1枚以外 どの写真も制輪子さんは行方不明です。
運用は電動車の前後に付けてのTMT編成との事ですが、電動車の制動力だけで充分との判断かもしれません。
屋根にはヘッドライトとホイッスル。なお、車両間のジャンパー線等は どのようなものだったか不明。
塗装は 写真を見ると どれも明るく見え、私の絵は当時流行の 軍放出 航空機塗料っぽく仕上げてみました。

ヌ100形 暖房車 初期車 公式側ヌ100形 暖房車 初期車 非公式側

お次は、簡易暖房車こと ヌ100形。
くわしくは客車の絵を参照してください。
形式はヨ7000形→ヌ1000形→ヌ100形と変化しています。

ワフ28000形 有蓋緩急車

ワフ28000形 有蓋緩急車 木部塗装省略 公式側 ワフ28000形 有蓋緩急車 公式側 ワフ28000形 有蓋緩急車 木部塗装省略 非公式側 ワフ28000形 有蓋緩急車 非公式側

ワフ28000形は、ワフ25000形の戦時設計版で昭和19、20年(1944、1945年)に250両が誕生しました。
ワム23000形を木体化してワム50000形が誕生したのと同じ経緯で、塗料が用意できない場合は無理に塗装しなくても良い事になっていました。
塗装省略と言ってもメーカーでは なるべく塗装に努力したようです。
なお、木部未塗装車体の車体表記部分の色がちょっと違うのは、ニス等で下地塗装をしたためと思われます。

通風装置は、古い車両から外したトルペート形2個装備が元設計ですが、戦後の換装か はたまた製作時からのものなのか、ガーランド形1個のものも多く見られます。
ワフ28000形はちょっと更新改造には不向きで、昭和30年代末には淘汰されています。

ヨ2500形 車掌車

ヨ2500形 寒窮車

時は昭和22年(1947年)。
相次ぐ列車事故に業を煮やした進駐軍は、「すべての貨物列車の最後尾に必ず緩急車を連結せよ。」という命令を出しました。
戦時中に条件が緩和されたのか? 当時は緩急車を連結しない貨物列車も多数あったようです。
ところが それには車掌車が不足するため、古典貨車のワ1形有蓋車を改造して まかなう事にしました。

改造内容は、側引戸部を開戸にし、窓を両側面と片妻面に開け、中にイスや机を設置し、車掌弁(非常弁)を設置。
どこの廃車体から外してきたのか、古典的なトルペート形ベンチレイターが屋根に乗っています。

戦後混乱期の当時の事。 最低限の改造で済ませており、緩急車の由来たる手ブレーキではなく 側ブレーキのままです。(※手ブレーキの方がブレーキ力が強いです。)
ただでさえ古い貨車です。最悪の乗り心地の足廻りと、隙間風だらけのオンボロの車体に乗務員は泣きました。ひどい車輌は 窓ガラスも無かったそうです。
これが700両も改造され、昭和34年(1959年)まで使われました。

ワフ22000形/ワフ122000形 有蓋緩急車

ワフ22000形 有蓋緩急車 1段リンク 非公式側 ワフ22000形 有蓋緩急車 2段リンク 公式側 ワフ122000形 有蓋緩急車 1段リンク 公式側

古典緩急車は戦後も相当数残っており、その更新用として新製再開したのがワフ22000形です。
昭和22、23年(1947、1948年)に975両が製作されました。

基本的にはワフ21000形と同じですが、資材の節約なのか車軸の短いものを使っています。
その後の経緯もワフ21000形と同じです。

絵は左からストーブ設置前 非公式側。足廻り改造の晩年 公式側。北海道のワフ122000形 公式側。

もともと 緩急車は全国共通運用が基本でしたが、色々用途や設備に差が生まれると、配置区が決められるものが多くなりました。
そんな緩急車には 大きな管理局名標記が見られましたが、これは昭和47年(1972年)から客車同様の小さな標記(管理局名+配置区略名)に変更になっています。

ヨ3500形 車掌車

ヨ3500形 車掌車 初期車 電装後 ヨ3500形 車掌車 中期車

ヨ3500形は、戦前のヨ2000形を改良して製作再開した形式で、最初からストーブを設置し、量産途中から電灯設備も標準装備となりました。
昭和24〜33年(1949〜1958年)に1345両が作られています。

絵は左が初期車の電装後でヨ2000形類似の車体。右が中期車の晩年の姿。
電灯設備は装備時期によって仕様が違い、改造で取り付けられたものは大形の蓄電池が目立ちます。


ところで側面に書かれているCの字は 何でしょう?

戦後、緩急車の装備の違いによって配置区が決められていったのですが、ヨ3500形のようなストーブや電灯を備えた緩急車は、バッテリーや燃料の管理上 運用が指定されるようになりました。
当時はまだ 充電が出来る貨車区も限られていたのです。

ストーブや電灯を備えた近代的緩急車は特殊貨物緩急車と呼ばれ 運用方も決められました。

まず、最高速度85km/hの特急貨物、急行小口貨物用緩急車は、側面の運用票板に 運用行路が書かれました。
運用行路とは、車両が自区を出てから列車を渡り歩いて、また自区に帰って来るまでを表にしたものです。
該当車両はワムフ100形、ヨ5000形、ヨ6000形です。

次に、もっと大まかな管理で、全国をABCの3つの線区に分けて その線区内に かこった緩急車を自由に運用するものとして、最高速度75km/hで電灯・ストーブ装備のヨ2000形、ヨ3500形、ワフ29500形等が選ばれました。
側面の運用票板にはA・B・Cの全国幹線区線区別指定運用の記号が書かれました。
鳥栖〜長岡操車場間(東海道・中央・上信越周り)がA線区。米原〜青森間(日本海縦貫線周り)がB線区。田端操車場〜青森間がC線区です。
この標記は、写真を見ると おおむね昭和40年代を通して書かれているようで、昭和50年代には消されています。
私が確認した配置区との関連は、Aが新・高・東・静・大・門・南で、Cが仙・東・水です。B表記は金とか新とかがあるはずだけど、写真が見つかりませんでした。。。
緩急車は、蒸気機関車の写真と良く写っているので、よく観察してみましょう。

最後にストーブのみ設置の車は、幹線区共通運用車は白線一条。支線区運用のものは指定運用の標記です。

これらの細かい運用の管理も、全部の緩急車に電灯が装備されると必要が無くなりました。

ワフ29000形 有蓋緩急車(原形)

ワフ29000形 有蓋緩急車(原形)公式側 ワフ29000形 有蓋緩急車(原形)非公式側

ワフ29000形はワフ25000形の戦後版で、荷重は7トン。最高速度65km/h。
戦後の1950年代の緩急車は主に、車掌車のヨ3500形が作られていたのですが、編成の短い支線区では 貨物の積める有蓋緩急車が求められました。
ワフ22000形では荷重が少なすぎるので、新規設計とし、昭和29年(1954年)に100両が製作されました。

後年、ワフ29500形に準じた改造が施されて、まったく別の姿になっています。

ワフ29500形/ワフ35000形/ワフ29000形(更新) 有蓋緩急車

ワフ29500形 有蓋緩急車 公式側 ワフ29500形 有蓋緩急車 非公式側

ワフ35000形 有蓋緩急車 公式側 ワフ35000形 有蓋緩急車 非公式側

ワフ29000形 有蓋緩急車(更新)公式側 ワフ29000形 有蓋緩急車(更新)非公式側

ワフ29500形はワフ29000形の改良形として昭和30〜36年(1955〜1961年)に650両が作られました。最高速度75km/h。
ワフ29000形は車掌室が2人乗務には狭く、またデッキが無いので 入換作業時のブレーキ操作に不向きでした。
そこでワフ29500形は 荷重を5tに減らして車掌室を広げ、デッキも設置して、なおかつ当初から電灯設備を有する近代的緩急車となりました。

この設計変更は成功で、続けてワフ25000形を改造してワフ35000形に、ワフ29000形は全数がワフ29500形と同様の仕様に改造されました。

絵は上からワフ29500形、ワフ35000形、ワフ29000形。 ワフ29500形の公式側は ブラインドを半分下げた状態。
各車 外見的には見分けがつきませんね。 ワフ35000の屋上通風器の位置は 何パターンかあるようです。

ところで、有蓋緩急車の積荷ですが、これは小口扱貨物が主体です。
小口扱貨物とは、貨車1両を借り切る車扱には及ばない小量の貨物を運ぶものです。
多くの場合 他の荷主の貨物と混載となり、車掌が荷扱します。
支線区では 混載しても なお貨車1両に満たない事が多いので、有蓋緩急車がちょうど良いのです。

この小口扱貨物は、当初より旅客車で運ぶ小荷物輸送と境界が曖昧であり、昭和49年(1974年)10月に小口扱貨物は廃止されて 小荷物に統合されています。
それ以降、一部は郵便荷物車代用や事業便とかの特殊用途に活躍したかもしれませんが、ワフの貨物室はカラの事が多くなったようです。
有蓋緩急車は 車掌車と同じ使われ方をされましたが、バネは固くて乗り心地は悪くても、車室が狭い分 冬季の暖房の効きが良く、乗員から好まれたようです。

ヨ5000形 車掌車

ヨ5000形 車掌車 改造車 初期たから号塗装ヨ5000形 車掌車 改造車

ヨ5000形 車掌車 新製車 後期たから号塗装ヨ5000形 車掌車 新製車

国鉄の車掌車と言えば これ。
ヨ5000形は高速小口扱列車や、コンテナ列車の緩急車として、ヨ3500形を最高速度85km/hの仕様とし、電灯を整備したものです。
昭和34(1959年)からヨ3500形改造し、また、昭和37(1962年)には新製車も登場して、総数1178両となりました。

ヨ5000形の一部は昭和34(1959年)にデビューした「コンテナ特急 たから号」用に コンテナと同じ淡緑3号(のちに黄緑6号)+赤3号の塗装で活躍しました。
絵は上段がヨ3500の改造車。下段は新製車。たから号塗装は新旧2種を描きました。

ヨ5000形 5800番代 車掌車

ヨ5000形 5800番代 車掌車

ヨ5000形 5800番代は、国鉄末期の昭和52年(1977年)に、九州の石炭緩急車セフ1形を置き換えるために改造されたタイプです。
九州の石炭列車に運用するとなると ネックとなるのが石炭積み込み施設のホッパーの低さです。
石炭列車は基本的に編成ごとホッパーに押し込まれるので、低屋根化改造が必要でした。
29両が改造されましたが、石炭列車は年々削減され、緩急車の連結も廃止されて 活躍期間は短いものでした。

ヨ6000形 車掌車

ヨ6000形 車掌車

ヨ6000形は昭和37〜44年(1962〜1969年)に905両が製作された車掌車です。
従来の車掌車は3名乗務対応でしたが、この頃には荷扱い車掌も乗らなくなったので 定員を2名とし、車体長を短くしています。
車体長を短くして軽くなった分 場合によっては1両多くの貨車が列車に連結できるわけです。

また、昭和43年(1968年)製の車から ストーブが石炭燃料のダルマストーブから石油ストーブに変更され、従来他形式の緩急車も 順次石油ストーブに換装されました。
その識別のため、石油ストーブ車は デッキ妻板に横白線を引いています。
石油ストーブは従来のだるまストーブよりも効きが良く、乗務員から喜ばれたようですが、わざわざ遠くから見えるように標記までしたのは、運用前の燃料準備の関係だと思われます。

ヨ9000形 車掌車

ヨ9000形 車掌車 非公式側 ヨ9000形 車掌車 公式側

ヨ9000形は10000系貨車の列車に連結すべく、最高速度100km/hの車掌車を試作したものです。
10000系貨車にはコキフやレムフがありますが、合造車は運用効率が悪く、2軸車での高速緩急車を目指したものです。

昭和42年(1967年)に2両が試作されましたが、結果は思わしくなかったようです。
ただ、走行試験終了後も そのまま廃車される事なく、九州地区の石炭列車用に有効利用しています。
その際、特殊台車のため最高速度65km/hとなり黄帯を巻きました。

車体の方はヨ6000形がベースですがトイレを設置しており、1人乗務用なのでのちのヨ8000形の試作車的側面もあります。

ヨ8000形 車掌車

ヨ8000形 車掌車 公式側ヨ8000形 車掌車 非公式側

従来より緩急車は慢性的な車両不足にあり、老朽緩急車も置き替えなければならなかったのですが、その解決策として昭和49〜54年(1974〜1979年)に1173両が投入されたのがヨ8000形です。
昭和44年(1969年)から 貨物列車の緩急車には車掌の代わりに 車掌業務と検査業務を兼務する“列車係”が乗務する事になりました。
どんどん合理化がすすめられ、それを受け ヨ8000形の車掌定員はついに1名になりましたが、走行安定のためには むやみに車長を短くできません。
そこで車掌室だけを小さくした凸形車になりました。室内が狭いので暖房の効きも良くなります。
また トイレも完備し、その設計はコキフ50000形コンテナ緩急車と ほぼ同じ物となっていますが、良く見ると製造当初から個体により細部にバリエーションがあります。

ただ、残念な事に登場時期が遅すぎました。
国鉄は貨物縮小の真っただ中にあり、昭和60年(1985年)には貨物列車の緩急車連結の廃止。
機関車に列車係を乗務させ、それも全国に列車防護無線が採用されると 貨物列車は運転士1人乗務となりました。

昭和62年(1987年)のJR移行時までには ほとんどの緩急車が廃車され、ヨ8000の活躍は短かなものでした。
ヨ8000形は 現在も特大貨物や甲種貨物に連結される事がありますが、乗っているのは車掌ではなく検修社員です。

なお、ヨ8000形の屋根色は黒色で、通風器のみFRP成型色の灰色が正規でしたが、のちにマスキングを省略して全部黒になりました。ただ、一時期 通風器に合わせたのか 間違って屋根全体をグレーに塗ってしまったものもあったようです。

東武鉄道 トフ951形/トフ1001形

東武鉄道 トフ951形 無蓋緩急車 公式側東武鉄道 トフ1001形 無蓋緩急車 公式側 東武鉄道 トフ951形 無蓋緩急車 淡緑色 公式側

東武では従来、貨物列車の車掌乗務車両として 有蓋緩急車や無蓋緩急車を使用していましたが、狭くて振動の激しい乗り心地の悪い車両であり、そのくせ乗務区間も長いため、戦後も落ち着くと車掌の労働環境改善が求められました。
そこで作られたのが本形式。トフ951形と、トフ1001形です。
どちらも古い貨車の下廻りを生かした改造車で、写真を見るにトフ951形は大正前期の短軸を使用した貨車が種車で、トフ1001形は大正後期の貨車が種車のようです。
改造では まずバネを柔らかいものに変更し、車体中央に大き目の車掌室をでんと載せ、補助ブレーキを手ブレーキとしました。
余った車室前後のスペースは、煽り戸の低い無蓋貨物積載スペースとしましたが、あまり積めそうにありません。
しかし、東武では砂利輸送の専用列車も走っていたので、当初は普通に砂利を積んでいたかもしれません。
煽り戸は1人でも開閉できるサイズなので、事業便輸送でも活躍したでしょう。
この貨車が、次の東武の車掌車へと発展してゆく事になります。末期には淡緑色の車両もいました。

東武の車掌車 ヨ101形/ヨ201形/ヨ251形

東武鉄道 ヨ101形 車掌車 公式側東武鉄道 ヨ101形 車掌車 非公式側東武鉄道 ヨ201形 車掌車 公式側東武鉄道 ヨ201形 車掌車 非公式側東武鉄道 ヨ201形 車掌車 大叶線 推進運転用 非公式側東武鉄道 ヨ251形 車掌車 公式側 東武鉄道 ヨ101形 車掌車 晩年 公式側東武鉄道 ヨ101形 車掌車 晩年 非公式側

東武鉄道の車掌車といえばコレ。
もともと東武鉄道の緩急車はトフかワフが使われていましたが、居住性の改善を目的に昭和40年代に作られたのが ヨ101形(42両)、ヨ201形(20両)、ヨ251形(13両)です。
東武鉄道は私鉄の中でも貨物輸送の規模が大きく、合わせて75両もの車掌車が自社工場で作られました。
作られたと言っても、いずれも古い無蓋車などの改造で、3形式で下廻りが違います。どうやらヨ101形>ヨ201形>ヨ251形の順で種車が古いらしく、ヨ251形は短軸です。

車体に対して小さな車室の凸形という点では国鉄のヨ80000形に似ていますが、東武の車掌車は無蓋緩急車から独自発展したものです。
ヨ101形は出入口デッキ部に大きな屋根が出ていますが、ヨ201形、ヨ251形はヒサシで済ましています。また、各形式とも1位側のデッキには出入り出来ず、手スリというより立入禁止の柵が巡らせてあります。
ヨ101形やヨ201形の中には 葛生の大叶線用に、推進運転用の警笛を備えたものもいました。
そのほか、デッキ上の腰部箱の数など 両数が多いだけに色々形態にバリエーションがあったようです。

塗装も変わってて、独特な灰緑色。これは東武車籍の住友セメント私有貨車ホキ101形に合わせたようで、セメントの汚れが目立たない色らしいです。デッキ端面は黄色と黒のトラ塗りです。
また、窓から見える遮光用のカーテンがおしゃれでした。

国鉄が緩急車の連結をやめても、東武鉄道では貨物の末期まで車掌車が連結されていました。最後に残されたヨ101形は、昭和61年(1986年)から茶色塗装となっていました。

西武鉄道 ワフ1形 有蓋緩急車

西武鉄道 ワフ1形 有蓋緩急車 非公式側 青西武鉄道 ワフ1形 有蓋緩急車 公式側 青 西武鉄道 ワフ1形 有蓋緩急車 非公式側 黒西武鉄道 ワフ1形 有蓋緩急車 公式側 黒

西武鉄道ワフ1形は、老朽化した木造有蓋緩急車を置き換えるため、ト31形無蓋車(貨車の絵 その2を参照。)の改造で 昭和41年(1966年)から9両が製作されました。
といっても、近代化したのは車体だけで 足廻りは何とも古典的です。当然、改造は自社の所沢工場です。
大きな曲線の屋根の小粒な車体で、青色塗装の なんとも私鉄らしい造作です。
一般貨物列車のしんがりを務めていましたが、のちに黒色になってしまいました。

西武鉄道 ワフ101形 有蓋緩急車

西武鉄道 ワフ101形 有蓋緩急車 非公式側 青西武鉄道 ワフ101形 有蓋緩急車 公式側 青 西武鉄道 ワフ101形 有蓋緩急車 非公式側 黒西武鉄道 ワフ101形 有蓋緩急車 公式側 黒

西武鉄道ワフ101形は、西武秩父線開通に伴うセメント列車に使用するために 鉄側有蓋車のスム101形(貨車の絵 その12を参照。)の新製車を改造した有蓋緩急車です。
昭和44年(1969年)に7両が 西武所沢工場で改造されました。

この車の特徴は、国鉄乗り入れ車だった事で、西武秩父線 横瀬から、鮮やかな青色の私鉄緩急車がセメントタキ編成の前後に連結されて 国鉄 隅田川駅まで乗り入れていました。
のちに 国鉄に合わせて信号炎管を車体側面に装備し、塗装も黒色になってしまいました。
有蓋緩急車を名乗っているものの 荷重は1トンで、国鉄の車掌車と同じ柔らかいバネを履いています。
屋根に至る手すりなど、造形に電車的要素が感じられますね。

秩父鉄道 ワフ40形 有蓋緩急車

秩父鉄道 ワフ40形 有蓋緩急車

秩父鉄道ワフ40形は、国鉄ワム3500形前期タイプを有蓋緩急車に改造したものと思われ、種車は国鉄譲渡車なのか秩父鉄道新製車なのか不明です。
荷重は9t。一応、昭和50年代末期まで在籍していたようです。

秩父鉄道 ワフ50形 有蓋緩急車

秩父鉄道 ワフ50形 有蓋緩急車

秩父鉄道ワフ50形は、老朽緩急車の置き換えのため スム4000形を昭和54年(1979年)から9両改造したものです。
改造内容は大胆かつ近代的で、ストーブや車軸発電機・蓄電池を装備しています。
従来の側引戸を封鎖して車掌室にしているので、ワフを名乗っているものの実質 車掌車です。荷重表記もありません。
ただし、3分の2程度は貨物室を残しているので、小荷物をデッキ〜車掌室経由で積むことはできます。
昭和62年(1987年)の秩父鉄道緩急車連結終了時まで活躍しました。

秩父鉄道 ヨ10形 車掌車

秩父鉄道 ヨ10形 車掌車 非公式側秩父鉄道 ヨ10形 車掌車 公式側

秩父鉄道ヨ10形は、老朽化した大正14年(1925年)製のヲキ1形鉱石車を改造して 緩急車に仕立てたもので、昭和43年(1968年)に10両が製作されました。
おそらく、老朽有蓋緩急車の置き換えを意図したものと思われます。 車掌車としては少し贅沢な ボギー車なのが特徴です。
車掌車への改造は 種車のホッパーを撤去して、フレームはそのままに 車掌室を載っけて、台車の枕バネを1列 抜いています。
ちなみに、ヲキ1系の鉱石緩急車 ヲキフ10形は、ホキ10形バラスト散布ホッパ車に改造されています。

近畿日本鉄道 ワフ9861形 有蓋緩急車

近畿日本鉄道 ワフ9861形 有蓋緩急車

近鉄の有蓋緩急車は、合併を繰り返して誕生した会社のせいか 1形式1両が多く、しかも かたちも さまざまです。
おとなしい姿の近鉄ワフも多くありますが、ここでは一番目立った存在のワフ9861形を描きました。これも1両のみの存在。
見てのように丸屋根で、明治時代の2軸客車を ほうふつとさせますが、経歴不明です。
側引戸の構造が大阪鉄道タイプなので、古くから緩急車として南大阪線で活躍していたことでしょう。
荷重は8tで、写真撮影時期により デッキ廻りの造作に差異があります。
南大阪線所属ですが、南大阪線の貨車は吉野線にも乗り入れており、この車は「吉野口駅構内乗入れ承認車」。つまり吉野口駅の国鉄構内までは自由に入れます。

キ100形 単線ラッセル雪掻車

キ100形は、昭和3年(1928年)から製作された単線用ラッセル除雪車です。
基本的な構造はキ1形に準じていますが、鋼製となり、キ1形で試行錯誤された装備を最初から備えたため、車体は大型化されました。
特に 翼等の動力源として空気ブレーキ用の圧縮空気を流用しており、当然ながら最初から空気ブレーキを装備して登場しています。

途中、昭和18,19年(1943,1944年)製造の単線用ラッセル車は、戦時設計で木造車体のキ400形が19両製作されましたが、戦後に鋼体化改造がなされてキ100形に編入されました。
キ100形は、昭和31年(1956年)まで毎年ちょっとづつ増備され、194両の所帯となりました。

キ100形 単線ラッセル雪掻車(延鋤形) 公式側 鉄道省

キ100形 単線ラッセル雪掻車(流線形) 公式側 キ100形 単線ラッセル雪掻車(流線形) 非公式側 鉄道省 キ100形 単線ラッセル雪掻車(流線形改造直線形・旋回窓) 黄帯 非公式側

キ100形 単線ラッセル雪掻車(直線形) 公式側 キ100形 単線ラッセル雪掻車(直線形・旋回窓) 黄帯 公式側キ100形 単線ラッセル雪掻車(直線形・旋回窓) 黄帯 公式側 開扉 キ100形 単線ラッセル雪掻車(直線形・旋回窓) 非公式側

キ100形の先頭部の形状は、キ1形に引き続き米国の輸入車を参考にした延鋤形と言われる形状で登場しました。
上段絵のものがそれにあたり、キ100〜キ143号車が該当するようです。

昭和11年(1936年)から製作のものは、中段絵のように札幌鉄道管理局で開発された流線形という形となりました。ちなみに今でも北米では延鋤形を使っています。
しかしこの形状は、北海道のサラサラ雪には適していましたが、新潟地区の湿った重い雪では 雪がこびり付いてしまって思うように除雪できず、新潟では独自に次の直線形を開発しました。

直線形は昭和14年(1939年)に新潟鉄道管理局で改造した2両が最初です。
湿った雪に効果的だったため翌年以降、増備されました。
この形状は北海道の雪質にも効果があり、工作も簡単で、特にフランジャ装置の設置も容易になることが分かったため、従来の延鋤形や流線形、キ400形の鋼体化改造車も順次直線形に改造されました。
中段絵の右端が 流線形の直線形改造タイプです。

初期の直線形は ラッセル天板の形状が流線形のものと同一でしたが、下段絵のごとく途中で設計変更が行われ、直線形の完成形となりました。
残された写真で確認したところ、209号車までは流線形で、213号車はこの形状です。

操縦席の形状は ごく初期は完全な平妻3枚窓でしたが、3枚窓の左右を後傾させた台形を経て、最終的には鋭利な楔形4枚窓となりました。
この窓の改良は、いずれも雪の付着をなんとか防ぐための工夫あり、中段真ん中の絵のように前面見通しを確保するために大型のフードを設置したりもされました。
それでも雪が付着するため、結局は側窓から顔を出して前方注視したようです。
戦後になると船舶用の旋回窓の効果が確認され、旋回窓付き2枚窓に改造されました。

なお、前灯や作業灯、汽笛にも着雪防止用フードを被せたものが多いいです。
汽笛は前方の他にも後方にも備わり、後を押す機関車に 汽笛で速度指示をしていました。

室内にはダルマストーブが備わり、煙突が操縦席屋上に伸びています。改造で蒸気暖房管を備えた車両もいました。


前頭部で跳ね飛ばされた雪は、車体中間の翼に当たり さらに遠方に飛ばされます。
翼は最大全幅4.5mまで開扉でき、上中下の3段階150mmの範囲で上下動します。翼を一番下げると、レール面上10mmとなります。
翼に斜めに張り付いた菱形は雪案内と呼ばれ、これによって雪の飛び方が変わるため、配置や角度に試行錯誤が繰り返されました。
翼のヒンジは初期車は4段ありましたが、扉の開閉に却って抵抗となるため、後年 ほとんどの車両は2段に改良されています。

ラッセルの最先端には レール内側の雪を除雪するフランジャ装置が付いており、これはレール面下50mmまで上下動できます。
その他 似たような装置として、前位台車前にレール内側の氷を削り取る 砕氷器 が備わっています。こちらはレール面下35mmまで下げられます。
これら装置は 分岐器や踏切踏板等の障害物があると引っかかってしまうので、除雪車には線路を熟知した保線区員が乗り込んで、翼と共に操作を担当します。
絵では下段右から2つ目に、各装置が動作している状態を描きました。


翼やフランジャ等の動力源は圧縮空気が用いられ、そのためのタンクが屋根上に並んでいます。
エアの供給は機関車から空気ブレーキ管を通して行われますが、タンクが大容量なため 込めるのに時間が掛かり、場合によってはブレーキ操作にも支障する恐れもあるため、元空気ダメ管から供給できるように改造された車もあります。

ラッセル雪掻車の台車は特殊で、特に前位台車は軸距が短く バネの無い台車を採用しています。バネがない事で レール面上の正確な高さを除雪できるわけです。
そんなだから制限速度は65km/hで、ヨンサントウ以降は速度制限の黄帯を巻きました。
なお、戦前製の台車は 形式の無い菱枠台車、戦後製は前位がTR42系、後位がTR41系です。

その他の改造では、北海道で手ブレーキを車外操作式に改造するなど地域毎の特徴があり、さらに最新の研究成果をもとに毎年のように改造が繰り返され、1両として同じ姿の車両はいません。
絵は一応車号を特定して描いてはいますが、リサーチには限度がありますので ご承知おきください。

弘南鉄道 キ104、キ105/新潟交通 キ116/津軽鉄道 キ101/小坂鉄道 キ115

キ100形の仲間には 私鉄発注車もあるほか、 若番車の何両かが私鉄に譲渡されました。

弘南鉄道 キ104 ラッセル雪掻車 公式側弘南鉄道 キ105 ラッセル雪掻車 公式側

弘南鉄道には2両のキ100形が現役です。
弘南線に配置のキ104号車は、元国鉄キ104号車で昭和43年(1968年)に入線しました。
昭和4年(1929年)製の最初期車で、翼とかがリベットでごつごつしてます。
しかし前頭形状は、直線形新製車と同等のものに すげ替えられています。

大鰐線のキ105号車は 元国鉄キ157号車で、昭和50年(1975年)に入線しました。
こちらは元流線形です。

絵の左が104号車。右が105号車。
両車とも後妻に謎の機器箱が出っ張っているのが特徴です。

新潟交通 キ116 2軸ボギーラッセル車 公式側+モワ51 四輪ボギー電動貨車 公式側

新潟交通キ116号車は 昭和43年(1968年)に国鉄から譲り受けたもので、車号から分かるようにキ100形延鋤形の直線形化改造車です。
前任の木造車キ1号車(元国鉄キ36)の代わりに入線しました。前頭は燕方を向いています。
新潟交通の除雪車の特徴は、電車に推進させるため制御車化されている事で、運転台を備えています。絵のようにモワ51に押されて活躍しました。
そのせいか、後年116号車は中央列のエアタンクを撤去しています。タンク容量が大きいと電車のコンプレッサでは込めるのに時間が掛かるますからね。
新潟交通キ116号車は 路線廃止後も幸いなことに月潟駅跡に保存されています。
※モワ51は、電車の絵を参照して下さい。

津軽鉄道 キ101 ラッセル雪掻車 公式側

津軽鉄道にはキ120号車が譲渡され、キ101号車となりました。現役です。
やはり入線は昭和43年(1968年)で、ヨンサントウ絡みで放出されたのでしょう。これにより各私鉄の木造ラッセル車が淘汰されました。
キ101号車は元延鋤形で、小坂鉄道キ115、新潟交通キ116と同じデザイン。
事故でもあったのか左右で翼の形が違うのが特徴です。
また雪案内も他のキ100形にはあまりない角度・配置で、国鉄時代に試行錯誤していた名残でしょう。

小坂鉄道 キ115 ラッセル雪掻車 公式側

小坂鉄道のキ115号車は、昭和44年(1969年)に入線しました。元国鉄キ134号車です。
延鋤形改造車の一般的な形状をしておりますが、何と言っても鮮やかな緑色が特徴です。
また、前部連結器が格納式となっています。
路線廃止後、幸いにも動態保存されているようです。

キ273 パラボラ形ラッセル車

キ273 パラボラ形ラッセル車 黄帯 公式側

国鉄では、安定輸送・経費削減の観点から いつの時代も常に最先端の雪害対策技術の研究がなされていました。
このパラボラ形ラッセル車は、雪を流体として捉えて、ラッセル車前頭部を流線形にして除雪時の排雪抵抗を減じようという構想のもと、昭和36年(1961年)にキ100形キ273号車が改造されたものです。
研究結果から、雪の抵抗を逸らすためにラッセル部をθ角60度のパラボラ(放物線)形状とし、なおかつ浮き上がり防止のため6度後傾させて ひとまず完成しました。
写真だとよく判りませんが、図面を真上から見るとただの円弧ではなく ちゃんと放物線形状していて、意外と尖っています。
ただ、雪の抵抗を逸らすという事は、除雪の際に雪を遠くに跳ね飛ばせない事が当初より懸念されており、翼の位置を後方に移動して翼で雪を掬い上げるように二次改造する予定でした。

その後 数年間、除雪試験が繰り返され、確かに驚くほど排雪抵抗を減ずる事に成功したそうです。
ただ、やはり雪を遠くに投げ飛ばすには不利な形状だという事が分かり、二次改造がされる事はありませんでした。
で、ここでお役御免となったかというと そんな事もなく ヨンサントウを生き残り、試験初期に比べると前灯の大形化、旋回窓や標識灯掛けが増設されているなど実用的改造がなされており、使用されてなかったわけではないようです。
パラボラ形の除雪の特性からいうと、ラッセルが利かない際の最後の切り札として向いており。もしかしたらキマロキ列車の露払い除雪用にでも 効果的に使っていたのかもしれません。
残念ながら研究は途絶えてしまいましたが、この形状。機関車の前頭形状として採用していれば、雪に強い機関車が実現したかもしれませんね。

キ550形 複線ラッセル雪掻車

キ550形 複線ラッセル雪掻車(流線形・旋回窓) 黄帯 公式側 開扉キ550形 複線ラッセル雪掻車(直線形・旋回窓) 黄帯 公式側 回送時キ550形 複線ラッセル雪掻車(直線形・旋回窓) 黄帯 非公式側 回送時

キ550形は、当初 キ250形として昭和7年(1932年)から製作が開始された 複線用ラッセル除雪車です。昭和16年(1941年)にキ550形に形式変更されました。
基本的にはキ100形に複線用ラッセルを装着した形状で、途中、戦時設計車のキ1500形を鋼体化改造するなどして ちまちま増備されました。
ところが 昭和30年代後半に、ヤードの除雪では 今まで使っていた幅広式(ジョルダン式)雪掻車よりも 複線式ラッセル車の方が使いやすい事が注目され、複線路線も増えた事もあってキ100の改造でキ550形が増やされ、昭和43年(1968年)までに70両が製作されました。
ただし、複線形をもっと増備しようかというところで、DD15形等の除雪ディーゼル機関車が開発されたので、以降 除雪貨車は漸減していきました。
なお、複線ラッセル車の前部連結器は、除雪時に邪魔になるので格納式となっています。

サ200形 工作車

サ200形 工作車

工作車とは軍艦で言うところの工作艦と同じような性格のくるま。
工事車(客車)等と連結され、移動建設班を組織して辺境に出向きます。

サ200形は 元をたどればワ1形 有蓋車。12両改造。 昭和41年(1966年)まで在籍しました。
片妻面に貫通幌、外部電源用配線を設置し、もう片妻面に観音開きの扉を設置し、ここからニョキッとホイストが突き出します。
車内には各種機器を積みます。

この手の車輌は道路網の整備等の周辺環境の変化により、今では見られません。


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