客車の絵



これらの絵は アイコンとして使う事を考慮して描いているため、使用色数が少なく軽いのが特徴です。ちっこいのは小形鉄道車両のコーナーへ。
改造ネタや、ホームページのアイコン等として、ご自由にお使いください。※注 商用・営利目的を除く。
使ったら、知らせて頂けるとうれしいです。
なお、絵や解説文の根拠たる参考文献等は ここに記載しきれないので、直接私にメールか掲示板で問い合わせて頂ければ幸いです。

このページの絵は特記以外1ドット50mmで描いています。


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オハ31形 三等客車

オハ31形 三等客車 前期 戦後

オハ32000形 三等客車 後期 赤帯

オハ31系列は、鉄道省初の鋼製標準客車として昭和2年(1927年)から量産された17m級客車です。
中心のオハ31形は前期・後期合わせて512両が作られました。
形式は極初期のオハ44400形から昭和3年(1928年)の称号改正でオハ32000形→昭和16年(1941年)の称号改正で、オハ31形と変化してます。
前期形は屋根水槽式で、後期形は 床下かまぼこ水槽ですが、前期形は のちに床下中央水槽に改造されています。
絵は上が前期形の戦後の姿。下が後期形のオハ32000形時代。ちなみに三等の赤帯廃止は昭和15年(1940年)です。
オハ31系列は、昭和30年代後半まで普通に見られました。

オハフ30形 三等緩急客車

オハフ34000形 三等緩急客車 前期 赤帯

オハフ30形は、オハ31系列の三等緩急客車です。
絵は前期形のオハフ34000形時代。

オハニ30形 三等荷物客車

オハニ30形 三等荷物客車 前期

オハニ30形は、オハ31系列の三等荷物客車です。
絵は前期形の戦後の姿。

スハ32形 三等客車(二重屋根)

スハ32形 三等客車(ダブルルーフ)赤帯

スハ32形 三等客車(ダブルルーフ)

スハ32系列は、それまでの客車が連結面間17mを標準としていたのに対し、連結面間20mと大形化して量産された標準客車です。
当初は、オハ31系列をそのまま延長したような構造で 作られました。
スハ32形の二重屋根車は、当初スハ32600形と呼ばれ、昭和16年(1941年)の車輌称号改正で、丸屋根のスハ32800形と統合されてスハ32形となりました。

スハ32形 普通客車(丸屋根)

スハ32形 普通客車(シングルルーフ)

スハ32形の丸屋根車。元スハ32800形。
絵は昭和35年(1960年)の等級制整理後の姿です。

スハフ32形 三等緩急客車(丸屋根)

スハフ32形 三等緩急客車(シングルルーフ)

スハフ32形は、スハ32系列の三等緩急客車です。
絵は丸屋根の元スハフ34400形。

オハ35形 三等客車(丸屋根)

オハ35形 三等客車(丸屋根) 電灯子車

オハ35形 普通客車(丸屋根)

オハ35形 普通客車(丸屋根) 青

オハ35形はスハ32形(丸屋根)の後継として昭和14年(1939年)から昭和24年(1949年)にかけ 1301両が作られた 国鉄を代表する客車です。当初の形式はスハ33650。
スハ32形(丸屋根)からの変更点は各席1枚づつだった窓を、2席で1枚として部品点数を削減したこと。及び、日除けが木のヨロイ戸から幕式となった事など。
この時期に登場した一連の客車を 鉄道趣味者の間ではオハ35系列と称していますが、技術的には戦前から戦後にかけての鉄道車輌開発は連続したものであり、系列という考え方は鉄道趣味者が戦後 国鉄に持ち込んだものです。
この時期は ちょうど鉄道車両設計に試行錯誤が見られた時期で、オハ35系列もいろんな車体バリエーションが目に付きますが、目立たない床下も 結構落ち着きがなく、標準化されるのは戦後になってからです。
また、戦後しばらくまでは、すべての車に電源が付いているわけではなく、1両の電灯母車から2両程度の電灯子車に電灯電力を供給していました。
絵は上から終戦後(電灯子車)、昭和35年(1960年)以降の等級制整理後、晩年青塗装です。

オハ35形 普通客車(丸屋根)長柱(張上屋根) 開窓

オハ35形 普通客車 長柱(張上屋根) 開窓

オハ35形 普通客車(丸屋根)ノーシル・ノーヘッダー

オハ35形 普通客車 ノーシル・ノーヘッダー

戦前製のオハ35形のうち、国鉄工場製の一部の123両は、各工場の溶接技術向上のため色々な試作要素が盛り込まれました。
ここでは、施工両数の多かった2例を示します。

オハ35形 三等客車(丸屋根)戦時迷彩

オハ35形 三等客車 戦時迷彩

第二次大戦中、国鉄鉄道車両(電車を除く)にも ありあわせの白色塗料で対空迷彩塗装が施されました。
これは昭和20年(1945年)5月頃から本格化した様ですが 戦後すぐに消されてしまい、何両程度に施されたのかは不明です。

オハ35形 普通客車(折妻屋根)

オハ35形 普通客車(折妻屋根)

オハ35形 普通客車(きのこ折妻屋根) 青

オハ35形 普通客車(きのこ折妻屋根) 青

戦後製のオハ35系の途中から、屋根端を丸めないで直線化して工数削減をし、さらに戦後のベアリング工業を救済するため コロ軸受のTR34台車となっています。
後期の車はその車端形状から“きのこ折妻”の愛称で呼ばれています。
また、折妻・きのこ折妻屋根車の約半数の車が 鋼板屋根になっています。

オハフ33形 三等緩急客車(丸屋根)

オハフ33形 三等緩急客車(丸屋根)

オハフ33形 普通緩急客車(丸屋根)

オハフ33形 普通緩急客車(丸屋根) 青 電気暖房装備

オハ35三等客車と同時期に 606両作られた三等緩急客車です。当初の形式はスハフ34720。
緩急客車とは、手ブレーキ&車掌弁(非常ブレーキ弁)及び車掌室の付いた客車の事。
絵は上から戦後三等級制時代、昭和35年(1960年)以降の等級制整理後、晩年青塗装(電気暖房装備)です。

宇田惣郷さんの改造作品は こちら

スハ42形 三等客車

スハ42形 三等客車

オハ36形 普通客車

オハ36形 普通客車

スハ42形は、きのこ折妻のオハ35をTR40台車化して増備した形式で、重くなったので スハとなりました。
折妻のオハ35と同じく、鋼板屋根の車とキャンバス屋根の車が半々です。
で、スハ42形式140両の内、61両を近代化工事で軽量化改造したのがオハ36形式で、さらに その内13両は のちに電気暖房を取付けて重くなったので、スハ40形式となりました。

宇田惣郷さんの改造作品は こちら

オハ60形 三等客車

オハ60形 三等客車

オハ60形はオハ61系鋼体化客車の第一陣として昭和24年(1949年)に登場しました。
木造車由来の狭窓と 屋根裏水タンクが特徴で、当初は雨樋がありませんでした。

オハフ60形 三等緩急客車

オハフ60形 三等緩急客車

オハフ60形は北海道用の鋼体化三等緩急客車として、昭和25年(1950年)に登場しました。
防寒のため二重窓となっております。
絵は混合列車対応のため 温器暖房(ウェバスト暖房器)を装備した車両、の、内窓を開放した夏姿です。

オハ61形 三等客車

オハ61形 三等客車

オハ61形 普通客車

戦後日本の鉄道は疲弊しきっており、古い木造客車を酷使している状況でした。
そんな中、重大鉄道事故が相次ぎ、木造車の脆さもあって多数の犠牲者を出してしまいました。
そこで当局は進駐軍を説得し、禁止されていた新造ではなく、木造客車の改造による鋼体客車の製造を認めさせ、ここにオハ61系鋼体化客車が誕生しました。
改造内容は、17m級のナハ22000形木造客車×4両+小形木造客車×1両=鋼体化客車×4両を基本として台枠を切り継ぎし、使える部品は再利用しています。
オハ61形は鋼体化客車の中心形式で、昭和26年(1961年)から製造されました。
あくまでもローカル運用用なのでシートピッチが狭く、台車も旧形のTR11なので、乗り心地は悪かったそうです。

オハフ61形 普通緩急客車

オハフ61形 普通緩急客車

オハフ61形はオハ61系の普通緩急客車です。

マニ60形 荷物客車・マニ61形 荷物客車

マニ60形350番台 荷物客車

マニ60形350番台 荷物客車マニ61形350番台 荷物客車

マニ60形50番台 荷物客車マニ60形50番台 荷物客車 電気暖房装備

マニ60形は、オハ61系鋼体化客車の一員の荷物車で、戦後国鉄の荷物車を代表する形式です。
荷物車の常で形式内に様々なタイプがありますが、描いたのは主流派の形式。
中段右の車はTR23台車に履き替えて走行性能を改善したタイプで、マニ61形を名乗ります。
また、後年 ベンチレーターを一部撤去した車がありますが、撤去の仕方はまちまちです。

ヌ100形 暖房車

ヌ100形 暖房車 初期車 公式側ヌ100形 暖房車 初期車 非公式側

ヌ100形は混合列車用の暖房車として、昭和26年(1951年)に 北海道で生まれました。

〜 略 〜

蒸気機関車牽引でも、物理的に暖房用蒸気が供給できない場合があります。
それは、混合列車で 機関車と客車の間に貨車が挟まってしまった場合で、貨車には通常 暖房管を引き通していないので、カマが どんなに煮えたぎっていようとも、蒸気を分配できないのです。
そこで、なるべく機関車の次に客車が繋がるように 入換を工夫する方法もありますが、なかなか うまくいくものではありません。
特に北海道は 冬季 極寒のうえ 混合列車が多数走っていたので、対策として客車にダルマストーブを搭載していました(1両辺り2台)。

しかしダルマストーブには 客室で火を燃やすという最大の弱点があり、客車が何両も連結されると 燃料の石炭をくべる車掌の労力も 大変なものとなりました。
そこで発案されたのが、緩急車を改造して小形のボイラーを積んだ簡易暖房車です。

当初はワフ25000形を改造し、通常の暖房車の半分の能力のボイラーを搭載し、ヨ7000形 車掌車として5両が作られました。
しかし車種が車掌車では 実態に合わないため、1年でヌ1000形に変更され、さらに1年後、暖房車全体の改番作業でヌ100形となりました。
まあ、通常の暖房車には無い 車掌室もありますので、ヌフ100形辺りを名乗っても よかったのではないでしょうか?

その間、トキ900形 無蓋車の部品を使って増備車が15両現れ、総数20両となり、一部は本州の花輪線でも使用されました。
昭和32年(1957年)には 後期車の中から6両が碓氷峠用のヌ200形に改造されました。

その後、混合列車の削減、ダルマストーブに代わるウェバスト式温気暖房装置の客車への装備、気動車列車化により、ヌ100形は昭和41年(1966年)に役目を終えました。

絵はワフ25000改造の初期形です。
非公式側の側面のハッチが石炭投入口。水は屋根上部から、蒸気機関車と同じ設備で給水します。
ワフ25000は貨車の絵 その8を参照してください。

スハ43形 普通客車

スハ43形 普通客車

スハ43形 普通客車 青 電気暖房装備

スハ43形は、スハ42の後継として昭和26年(1951年)から量産されました。
戦後の客車急行列車の主役です。

スハフ42形 三等緩急客車

スハフ42形 三等緩急客車

スハフ42形 普通緩急客車 青 電気暖房装備

スハフ42形は、スハ43系列の緩急客車です。

スハ44形 三等客車

スハ44形 三等客車

スハ44形 三等客車 青大将

スハ44形は、スハ43系列の特急用客車で44両が製造されました。
青大将塗装は非常に有名なのですが、実は昭和31年(1956年)11月〜昭和35年6月(1960年)の わずか3年7ヶ月の活躍です。

スハニ35形 三等荷物客車

スハニ35形 三等荷物客車

スハニ35形は、スハ43系列の特急用三等荷物客車で、12両が製造されました。
スハ44は ほとんど特急専従でしたが、スハニ35は当初からローカル運用にも使われています。
私の絵は 通常は公式側を描いていますが、こやつは非公式側で。

10系軽量普通客車(ナハ10、ナハフ10、ナハ11、ナハフ11)

ナハ10形 普通客車 非公式側ナハフ10形 普通緩急客車 非公式側

ナハ10形 普通客車 公式側ナハフ10形 普通緩急客車 公式側

ナハ11形 普通客車 電気暖房装備 非公式側ナハフ11形 普通緩急客車 電気暖房装備 非公式側

ナハ11形 普通客車 電気暖房装備 公式側ナハフ11形 普通緩急客車 電気暖房装備 公式側

戦後は旺盛な旅客重要に応えるため とにかく従来形の車両を量産していましたが、世の中が落ち着いてくると改良形の車両を設計する余裕が生まれました。
当時求められていたのは 輸送力増強と列車の高速化であり、そのためには強力な機関車を作るか、列車を軽量化する事が必要です。
日本は地盤が弱いので保線費用軽減の目的もあり、列車を軽量化する道を歩むことになり、ついには電車・気動車大国になったのはご存じのとおりです。
10系客車は、その軽量化の先鞭をつける車両として昭和30年(1955年)に試作車が登場しました。

客車の重量区分は軽量のものからコホナオスマカと記号が付き、それぞれ
コ 積車重量    〜22.4t
ホ 積車重量22.5t〜27.4t
ナ 積車重量27.5t〜32.4t
オ 積車重量32.5t〜37.4t
ス 積車重量37.5t〜42.4t
マ 積車重量42.5t〜47.4t
カ 積車重量47.5t〜
となっています。
ナ級に軽量化できれば、ス級3両に対して 4両牽引できる計算となります。
この頃には良い測定機材も開発され、従来の“経験”や“カン”に頼る設計から、“計算”による設計の比率を高められるようになりました。
詳しい事は省略しますが、10系客車は従来の車両とは格段に進歩した構造となり、スハ43と比べた場合、ナハ10試作車で約31%(33.5t→23.0t)の軽量化がなされ、製作コストダウンを図ったナハ10量産車で23.8t(同 約29%)となりました。
なお、ナハ10試作車8両はナハ10 1〜の量産車の製造が昭和31年(1956年)から始まると900番台に改番しました。

ナハ10形・ナハフ10形は、折戸が特徴でしたが、蛍光灯を導入したマイナーチェンジ版のナハ11形・ナハフ11形では開戸に戻っています。
この差異も、のちにナハ10形・ナハフ10形が改造で蛍光灯化、開戸化されると外見上の判別は難しくなりました。
絵は上段から、左 ナハ10非公式側、右 ナハフ10非公式側。左 ナハ10公式側、右 ナハフ10公式側。左 ナハ11電暖 非公式側、右 ナハフ11電暖 非公式側。左 ナハ11電暖 公式側、右 ナハフ11電暖 公式側。

ナハネ10形 B寝台客車

ナハネ10形 B寝台客車 非公式側ナハネ10形 B寝台客車 公式側

ナハネ10形は、ナハ10形試作車で開発されていた軽量構造を 量産形式で最初に採用た形式で、昭和31年(1956年)に登場しました。
また、初めて幅広の裾絞り車体を導入しました。
従来の三等寝台車の老朽化と需要の拡大から作られましたが、内装も戦後らしくグレードアップしたものとなりました。

ナハネフ10形 B寝台緩急客車

ナハネフ10形 B寝台緩急客車 非公式側ナハネフ10形 B寝台緩急客車 公式側

景気が回復してくると寝台急行列車は次々と増発され、それ用の緩急車が不足してきました。そこでナハネ10形を全数緩急車化する事になり 昭和38年(1963年)に生れたのがナハネフ10形です。
改造は寝台の1区画を潰して車掌室を設けたもので、同時に狭かった給仕室も拡大し、故障の多かった折戸を開き戸にする等の更新もしています。
車掌室と給仕室の配置は窓割りと合ってなく、変な所に部屋の仕切りができてしまったため、その部分は大抵日除けが下りていました。

オハネフ12形 B寝台緩急客車

オハネフ12形 B寝台緩急客車 非公式側オハネフ12形 B寝台緩急客車 公式側


時代と共に優等車には冷房が当たり前となり、ナハネフ10形に冷房装置を搭載したのがオハネフ12形です。
改造は昭和42年(1967年)からナハネフ10全車に対して行われ、自重が重くなったためナハネフからオハネフに変わりました。
絵はさらに電気暖房装置を搭載した姿を描きました。

宇田惣郷さんの改造作品は こちら

オロネ10形 A寝台客車

オロネ10形 A寝台客車 電気暖房装備 茶 非公式側オロネ10形 A寝台客車 電気暖房装備 茶 公式側

オロネ10形 A寝台客車 青 非公式側オロネ10形 A寝台客車 青 公式側

オロネ10形 A寝台客車 電気暖房装備 青 非公式側オロネ10形 A寝台客車 電気暖房装備 青 公式側

さて、10系B寝台車が続々と増備されると、今度はA寝台車が陳腐化してきました。
そこで昭和34年(1959年)から誕生したのがオロネ10形で、20系のナロネ21形とほぼ同じ車体を採用し、床下に冷房ユニットを搭載しています。
各地の夜行列車に活躍し、深い屋根は編成の良いアクセントとなっていました。

オユ10形 郵便車

オユ10形 郵便車オユ12形2000番台 郵便車オユ10形2550番台 郵便車

オユ10形郵便車は、昭和32年(1957年)から製造の10系列の取扱便用郵便車です。
郵便車というのは郵政省所有の私有客車(スユニとかの合造郵便車は国鉄所有で部屋を郵政省に賃貸。)です。
中でも取扱便というのは動く郵便局であり、各駅で積み込まれた郵便袋を車中で開き、走行しながら行き先別に区分して順次目的地で下してゆくという事をしていました。
取扱便はもともと 無駄な輸送時間を有効活用したものでしたが、自動車便と航空便の普及により輸送時間そのものが短縮されたので昭和59年(1984年)に全廃されました。

オユ10は戦後国鉄の郵便客車の代表格で、いろいろなタイプがあります。
まず、0番台を基本として、電気暖房を装備した2000番台、北海道運用のため耐寒仕様で温器暖房(ウェバスト暖房器)と電気暖房を装備した2500番台、
さらに郵便職員の労働環境を改善するため0番台を冷房化改造した1000番台、
2500番台を冷房化改造した2520番台、2000番台を耐寒改造・冷房化改造した2550番台と、番台区分だけでもたくさんあり、しかも極初期車には側面に通風口があるなど変化に富んでいます。
絵は左から0番台、2000番台、2550番台です。

オユ12形 郵便車・スユ13形 郵便車

オユ12形 郵便車オユ12形 郵便車

スユ13形 郵便車

オユ12形は昭和33年(1958年)から製造の10系列の護送便用郵便車です。
護送便とは郵袋や郵便小包を積み込んで ただ運ぶだけの運用で、少し小・手荷物輸送と似ています。
車両の構造も荷物車と大差ないですが、郵便物を扱うのは郵便職員なので 車掌室と別個に部屋が用意されています。

下段はスユ13形で オユ12形に電気暖房を搭載したタイプ。車体が同じでつまらないので夏姿を描いてみました。

マニ36形 荷物客車

マニ36 52 荷物客車 公式側マニ36 52 荷物客車 非公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

昭和30年代となると荷物輸送は輸送の効率化のため、これまでの旅客列車併結から荷物専用列車化が進められました。
そこでオハニやスハニは余り、マニが必要となるため、昭和37年(1962年)から荷物合造車を荷物車に改造する工事が行われ、マニ35形が登場しました。

しかし老朽車の置き換えや需要増のために さらにマニが必要となったため、昭和41年(1966年)から旧二等車を中心に余剰の客車を片っぱしに荷物車に改造して生れたのが マニ36形です。
当然、窓割り等は千差万別で、客車ファンを楽しませました。
絵のマニ36 52号車はオロ35形を改造して生れたグループの一員です。

12系 急行形客車(オハ12、スハフ12、オハフ13)

オハ12形 急行形客車 非公式側オハ12形 急行形客車 公式側

スハフ12形 急行形緩急客車 非公式側スハフ12形 急行形緩急客車 公式側

オハフ13形 急行形緩急客車 非公式側オハフ13形 急行形緩急客車 公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

12系急行形客車は、翌年に大阪万国博覧会を控えた昭和44年(1969年)に誕生しました。
当時 国鉄では電車化・気動車化により動力近代化の完成が近く、もう座席客車は作っていなかったのですが、波動輸送(臨時列車)用の客車が陳腐化し、気動車より製作費が安く どこでも走れる急行規格の客車が作られることになりました。
12系の一番の特徴は、急行規格のため冷房を搭載し その冷暖房用電源を半集中式に一部車両(スハフ12形)に搭載する事により、柔軟な車両運用とメンテナンスの効率化を実現した事です。
また、110キロで走れるブレーキシステムや自動ドアの採用など、革新的車両となっております。

12系はシステム上 スハフ12+オハ(オハフ)×最大5両の固定編成ですが、当初より波動輸送用として生れたため座席車しかなく、寝台車やグリーン車が必要な場合は他系列とも良く編成を組み、そのための蒸気暖房管を引き通しています。
また、国鉄末期にはジョイフルトレイン等に いろいろ改造されました。

絵は上からオハ12、スハフ12、オハフ13で、左から非公式側、公式側です。

12系1000番台 近郊形客車(オハ12 1000、スハフ12 1000、オハフ13 1000)

オハ12形1000番台 近郊形客車 非公式側オハ12形1000番台 近郊形客車 公式側

スハフ12形1000番台 近郊形緩急客車 非公式側スハフ12形1000番台 近郊形緩急客車 公式側

オハフ13形1000番台 近郊形緩急客車 非公式側オハフ13形1000番台 近郊形緩急客車 公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

12系1000番台は、国鉄末期の昭和59年(1984年)から山陰ローカルの旧形客車の置き換え用として一部座席をロングシートに改造したものです。
民営化後は全車JR西日本に継承されて七尾線・山陰本線・播但線・芸備線で使用されました。
最後に使用されたのは山陰本線の出雲市〜豊岡間でしたが、このときは1000番台と基本番台(帯付き)車がごちゃ混ぜで運用されていました。

絵は上からオハ12 1000、スハフ12 1000、オハフ13 1000で、左から非公式側、公式側です。

14系 寝台客車(オハネ14、オロネ14、スハネフ14、オシ14)

オハネ14形 普通寝台客車 非公式側オハネ14形 普通寝台客車 公式側

オロネ14形 グリーン寝台客車 非公式側オロネ14形 グリーン寝台客車 公式側

スハネフ14形 普通寝台緩急客車 非公式側スハネフ14形 普通寝台緩急客車 公式側

オシ14形 食堂客車 非公式側オシ14形 食堂客車 公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

14系寝台客車は、昭和46年(1971年)に登場したブルートレイン用客車です。
昭和33年(1958年)登場の20系寝台客車は 昭和45年(1970年)まで増備が続きましたが、車両構造もインテリアも設計が陳腐化し、また集中電源方式なため 分割併合列車の設定が困難でした。
そこで分散電源方式で成功した12系急行形客車の設計を元に、寝台幅を拡幅するなどインテリアも近代化した「ニューブルートレイン」14系が生まれました。
ただ 営業上、20系の登場時のように各種1等車や座席車まで連ねる「走るホテル」という訳にはいかなかったようで、14系寝台車はオハネ14、オロネ14、スハネフ14、オシ14の4形式での登場でした。

絵は上からオハネ14、オロネ14、スハネフ14、オシ14。

24系 寝台客車(カニ24 9〜24号車、オハネ25 0番代、オロネ25 0番代、オハネフ25 0番代)

カニ24形 電源荷物車 9〜24号車 非公式側 非公式側カニ24形 電源荷物車 9〜24号車 公式側

オハネ25形 0番代 普通寝台客車 非公式側オハネ25形 0番代 普通寝台客車 非公式側 公式側

オロネ25形 0番代 グリーン寝台客車 非公式側オロネ25形 0番代 グリーン寝台客車 非公式側

オハネフ25形 0番代 普通寝台緩急客車 非公式側オハネフ25形 0番代 普通寝台緩急客車 公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

24系寝台客車は、昭和48年(1973年)に登場したブルートレイン用客車です。
当初 ブルートレインの増備は、分散電源方式の14系寝台客車で順調に進むかに見られたのですが、製造間もない昭和47年(1972年)に北陸トンネル内で10系客車で組成された 急行「きたぐに」が火災事故を起こしてしまいました。火元はオシ17形食堂車の電気暖房の配線の漏電です。
この鉄道史に残る「北陸トンネル火災事故」は各方面に影響を与え、14系客車も床下のエンジンが危ないという事で自動消火装置を取り付ける事になりました。
その対策までの間に製造する事になったのが、集中電源方式の24系寝台客車です。
また、夜行列車による新聞輸送のためにも、いずれにしろ荷物車の製作は必要でした。

24系は 基本的には14系寝台客車と同じ車体ですが、初期の14系寝台客車よりも防火対策が強化されています。
車内は14系と同じく3段寝台でした。
しかし、この3段寝台はもう時代遅れという事で、翌昭和49年(1974年)からの増備は2段寝台で製造する事となり、区別のため形式を24から25に変更し 帯色を白から銀に。24系25形が誕生しました。
なお、のちに24系24形も色々改造されているので、現代では24形と25形の区別は 意味がありません。

絵は上からカニ24 9〜24号車、オハネ25 0番代、オロネ25 0番代、オハネフ25 0番代。24系は当初からマイナーチェンジが盛んでした。

オハ50形 近郊形客車

オハ50形 近郊形客車 非公式側オハ50形 近郊形客車 公式側

オハフ50形 近郊形緩急客車 非公式側オハフ50形 近郊形緩急客車 公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

レッドトレインの名を持つ50系客車は、老朽化した一般旧形客車を置き換える目的で昭和52年(1977年)に登場した近郊形客車です。
そもそもなぜ一般形客車が近代化から取り残されていたかといえば、国鉄は動力近代化の方針で電車化・気動車化を戦後ずっと続けており、客車列車を無くす考えでした。
ところが諸般の事情から機関車牽引列車は無くならず、置き去りになっていた一般形客車の近代化に 重い腰を上げたのでした。
50系客車を説明するなら 欧米のプッシュプル編成の近代的客車を想像すると良いでしょう。あんな感じです。
日本の鉄道がもし、欧米のように機関車牽引列車のまま取り残されていたとしたら こうなったという良い見本です。

マニ50形 荷物車

マニ50形 荷物車 公式側マニ50形 荷物車 非公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

マニ50形は、昭和52年(1977年)から236両が製作された荷物車です。
従来 荷物車は 古くなった座席車を改造したりして まかなわれていたのですが、郵便車が郵政省予算で続々と更新される中、荷物車の新製車が現場から待ち望まれていました。
昭和50年代ともなると旧形客車の老朽化はいかんともしがたく、ようやく国鉄は重い腰を上げて50系客車の一員としてマニ50を作りました。

マニ50は荷物車の完成形であり、文句ない出来だったのですが、登場時期が遅すぎました。
昭和61年(1986年)の荷物輸送廃止後は多数が廃車となり、JRには救援車やMOTOトレイン用に63両だけ継承されました。
今でも少数ですが現役なのは うれしい限りです。

スユニ50形 郵便荷物車

スユニ50形 郵便荷物車 後期形 公式側スユニ50形 郵便荷物車 後期形 非公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

スユニ50形は、昭和53年(1978年)から80両が製作された郵便荷物車です。
マニ50と同様に、郵便荷物車の更新用に製作されたものですが、こちらは旧形車の台車を流用して、しかも国鉄工場での製作により新製費を圧縮しています。
昭和61年(1986年)の郵便・荷物輸送廃止後、JRには7両が継承されています。

マニ44形 荷物車

マニ44形 荷物車 D1-A形ボックスパレット

マニ44形は、国鉄末期の昭和53年(1978年)から旧形荷物車の更新のために161両が量産された パレット荷物車です。
晩年の荷物列車には欠かせない車となりましたが、JR移行直前の昭和61年(1986年)に手小荷物輸送が廃止されると、カートレイン用の少数を残して一気に廃車されてしまいました。

外見はスニ40形の前後に乗務員室を追加した感じで 20m級となり、設計コンセプトは50系客車と同じです。
つまり・・・、
大きくなったのにパレット積載数はスニ40形と同一で、装備も構造も贅沢で、なにか各現場からの意見を断わりきれず、コスト度外視で設計にすべて盛り込んだ感があり、
しかも早期廃車と、残念ながら末期症状の国鉄を象徴する車と言わざるをえません。
右隣りの絵は、これも国鉄末期のD1-A形ボックスパレット。詳しい解説は積荷の絵の方で。

旧形客車連結面考察

旧形客車連結面考察1

旧形客車連結面考察2

旧形客車連結面考察3

旧形客車の連結面を考察してみました。
まず、列車を組成する上で重要な、空気ブレーキのエアーホースが繋がれます。

次に繋がれるのは、電灯、扇風機、放送等の低圧な電線です。(場合によっては、機関車〜客車間にも。)
これは、スハ42・オハ61系列までは つなぎ箱に一本一本個別に繋いでいましたが、スハ43系列以降はジャンパー栓での接続になります。
つなぎ箱方式の車と、ジャンパー栓方式の車を連結する場合は、片側だけジャンパー栓が付いたコードを使用しました。 また、つなぎ箱方式をジャンパー栓方式に改造した車もあります。

最後に冬季限定で繋がれるのが、蒸気暖房用ホース、もしくは電気暖房用高圧電線です。
電気暖房のジャンパー線は、向かって右側にメス、左側にオスが あらかじめ備えられ、海側山側どちらか一方を使用します。
なお、電暖車でも 蒸気暖房用の装備は残されております。

絵は、上から 暖房なし、蒸気暖房、電気暖房で、
左から つなぎ箱方式+つなぎ箱方式、つなぎ箱方式+ジャンパー栓、ジャンパー栓+ジャンパー栓 の、つもりです。我ながら描いてて何が何やらコンガラガリマシタ。


蒸気機関車の絵は こちら  ディーゼル機関車の絵は こちら  電気機関車の絵は こちら  貨車の絵 その1は こちら  貨車の絵 その2は こちら  貨車の絵 その3は こちら  貨車の絵 その4は こちら  貨車の絵 その5は こちら  貨車の絵 その6は こちら  貨車の絵 その7は こちら  貨車の絵 その8は こちら  貨車の絵 その9は こちら  貨車の絵 その10は こちら  貨車の絵 その11は こちら  貨車の絵 その12は こちら  貨車の絵 その13は こちら  貨車の絵 その14は こちら  小形鉄道車両の絵 その1は こちら  小形鉄道車両の絵 その2は こちら

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