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・後楽園・岡山城
 
 
岡山・後楽園岡山市北区後楽園 2011年 6月19日
三百年の歴史が息づく後楽園
岡山後楽園は、今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政[いけだ
つなまさ]が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園です。江戸時代を
代表する大名庭園の一つです。延養亭や能舞台を中心とした亭舎、園内
各所に置かれた茶室や祠には、歴代藩主の思いが込められています。
建物探訪
延養亭(えんようてい)
藩主が後楽園を訪れた時の居間として使われた建物です。築庭当初
から現在の位置に建てられ、藩主の座る主室からの眺めが最も美しく
なるように、庭園が作られています。戦災で焼失したが、昭和35年、
築庭当時の後楽園を描いた「御茶屋御絵図」を元に、当時第一級の
材料を集め、最高の技術によって復元されました。
鶴鳴館(かくめいかん)
江戸時代から伝わっていた建物は戦災で焼失し、その後昭和24年、
山口県岩国市の吉川邸を移築したもので、武家屋敷のたたずまいを
よく伝えるものです。江戸時代にあったのは茅葺きの建物で、数室に
分かれ、使う人の格や用途に応じて使われていました。時には来訪者
をもてなす部屋としても使われました。現在は、結婚式や同窓会など、
広く一般の方に貸し出され利用されています。
能舞台(のうぶたい)
後楽園の築庭を命じた綱政は、能に熱心で優れた舞手でもあり、時には
藩内の人々に拝見を許しました。能舞台も戦争で焼失したため、綱政の子、
継政時代の遺構をもとに復元されました。鏡板の松と切戸口板壁の竹の
絵は、郷土の画家池田遙邨画伯の筆によるものです。普段は一般公開され
ていませんが、年間を通じて能や狂言の上演が行われ鑑賞することができる
栄唱の間(えいしょうの間)
能舞台正面にあり、能の見所(けんしょ)となっています。
南側は花葉の池などの眺めに優れています。
廉池軒(れんちけん)
園内に点在する亭舎の中で、築庭を指示した藩主池田綱政が
もっとも好んで利用していたといわれています。廉池軒からの
眺望は水の景色に優れています。
新殿(しんでん)
文久3年(1863年)の絵図には、「新御殿」と記されています。高床式構造の
建物のため、少し高い目線で茶畑越しに園内の西側を眺めることができます。
寒翠細響軒(かんすいさいきょうけん)
沢の池をぐるりと臨むことのできる美しく小さな建物。寒翠はさえた緑色、
細響は細やかな響きという意味。建物の北側に広がる松林の緑色と静か
な佇まいをイメージしたものと思われます。南側の障子を開けると、正面に
唯心山や沢の池が一望できます
茶祖堂(茶祖堂)
幕末の家老の下屋敷にあった利休堂が、明治20年頃に移築されました。
戦後再建され、岡山の生まれで「茶」を日本に伝えた栄西禅師も一緒に
まつられたことから「茶祖堂」と呼ばれるようになりました。
茂松庵(もしょうあん)
戦災で焼け、昭和27年秋再建されました。二色が岡にあり、落ち着いた
佇まいとなっています。時候の良い週末と祝日には、お抹茶の接待が
おこなわれます。お茶席としての使用に限り、借りることができます。
島茶屋(しまちゃや)
園内最大の池である「沢の池」の中の島にある茶屋です。
 
広い芝生や池、築山、茶室が園路や水路で結ばれ、歩きながら移り
変わる景色を眺めることができるように工夫された回遊式庭園です。





沢の池の御野島

沢の池から望んだ島茶屋

花葉の池

この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海(いってんしかい)」
(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。 池には、園内の曲水と沢の池から
滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちてきます。



御船入後
藩主が城から舟で渡ってきた時の舟着場の跡で藩主が
入る御成御門(おなりごもん)もありました。



中の島

園内中央にある沢の池で、左から島茶屋(しまぢゃや)のある中の島
(なかのしま)、釣殿(つりどの)のある御野島(みのしま)、白砂青松が
美しい砂利島(じゃりじま)があります。 中の島と御野島の間には、
かつての上道郡と御野郡の郡境があり、今でも石標がそのなごりを
伝えています。



沢の池から望んだ岡山城

 
岡山城
城はそばを流れる旭川の川筋を変えて堀の代わりにし、旭川湾曲部の
小丘を本丸とし、二の丸、三の丸をめぐって、三重の堀があり、北と西の
方向に武家屋敷、城下町がありました。 岡山城には櫓35棟、門21棟
があり、天守が下見板張りの黒造りであったため烏城といわれた。
廊下門
月見櫓
第4代城主・池田忠雄が建てた隅櫓(すみやぐら)。最上階に廻縁をつけた
楼閣風で「月見櫓」と呼ばれます。幸いにも戦火を免れており、創建時の
姿を今に伝えています。国指定の重要文化財です。
不明門
本段の正門にふさわしい風格を備えた大型櫓門。ただし通常は閉じ
られたままで使用されることはなく、不明(あかず)の名はこれに
由来する。明治期に破却され、戦後天守とともに再建された。
金の鯱
白亜の姫路城と好対照の下見板張りの黒造りの天守はまた風格が
ありますが、月見橋を渡って、日本三大名園の一つである後楽園も一緒に
巡ってはいかがでしょう。後楽園側から観る岡山城が外観は最高です。