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と半年前に決心した。いよいよこのページを更新する時がきた!
うふ(^-^) 最初は仕事のためとがんばったホームページ制作も今では私
の趣味の一つになってしまったみたい。おもしろい・・・・・。
それでは、もくもくmama開店当時の話から。昭和63年の秋、それまで二人よれば、なにをしようかねーと話し合ってい
た。そんなある日茶碗を洗いながら、木に絵を描くことを考えついた。まだ私達の周りには全くなかった。「私の部屋」の木工作品を思い出していた。茶碗洗う
のをやめて井上さん家へ走って行った。
そうはいっても木を切ったこともない私達、電気糸鋸の存在は知っていたが、果たして私達が買えるものなのか、私達に使いこ
なせるのか、皆目見当もつかなかった。まずその糸鋸が10万円くらいするものなら、それは無理としてあきらめると言う結論を出した。
この時点で私達はある一つの大きな波に乗ることになる。
決して無理に波に逆らわずその波に体をまかせた。
程なくしてホームセンターのチラシに17,000円の電気糸鋸を見つける。すぐ購入、板も一枚購入。これが二人で1万円ずつ出し合って買った最初のも
のだった。筆と絵の具は文房具店へ行き、「私の部屋」を持っていき、こういう絵を描きたいがどんな絵の具を使うのか尋ねた。その時買ったのは、チューブに
入ったアクリル絵の具4〜5本と筆を3本ほど。

私の作品第一号
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家を建てたばかりだったので、二人でまず表札を作ることにした。
コーナーをカーブにカットし縁周りを彫刻刀で削った。下絵の転写にはチョークを使った。 |
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この頃偶然、本屋で見つけた右の雑誌の「アメリカの手作り最前線』というコー
ナーで『トール&デコラティブペインティング』と言う言葉を知る。
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左のカントリードール2体はこの雑誌を参考にして、木をカットして、絵付けした
記念の作品。ベースはオイルステインで塗る。この頃は木工制作は井上担当、絵付けは後藤担当だった。
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この雑誌の掲載されていたジュディーさんの描かれたバラを見たとき、『いつかこ
のバラがかけるようになりたいなあー』とため息混じりで思った・・・・・・。
年が明けてやっと本腰入れようかと今後のことを話し合う。 |
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この頃二人の周りには4歳以下の子どもがなんと5人もうろうろしていたので、何とも仕事が
思うようにすすまなかったのをお覚えている。一応3月ごろ、近くの公園で子ども劇場のバザーがあるということを聞き、とりあえず、それに商品を出すことで
開店ということにしようと計画を立てる。名前も「もくもくmama」と決定!身の丈にあった名前に満足。
ところが!
いよいよバザーも近づいた3月9日なんと私の夫に転勤命令!行き先は福岡!夫は一週間後に福岡へいく。私と子どもは3月19日もくもくmamaの開店デ
ビューを済ませ、3月21日とりあえず福岡へ引っ越し。建てたばかりの家は開けたままにして、時々帰ることにする。
[もくもくmama]の仕事になぜかとても将来性を感じ、離れたからと行って、やめようと
いう気持ちは全くなかった。当時は仕事を木工と絵付けという風に分担していたので、受けた注文をまず井上が木で作り、宅急便で後藤の所に送り、絵付けをし
てまた熊本に送り返し、井上が自宅の玄関で販売する。というやり方で進めることにする。
実は
この「福岡に転勤」と言うことがもくもくmamaにとって相当プラスになったのである。・・・・・。大きな波はどんどん私達を運んでくれた。
この続きは次回の更新で・・・・・。
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